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Image by Olga Tutunaru

SPECIAL

SPECIAL Interview VICTORIA YUZUKI

No Guarantee web magazine(2025.11)

女子プロレス・マリーゴールドで活躍するビクトリア弓月は、2025年に成人式を迎えたばかりの期待のホープ。2023年にデビュー、キャリアはまだ2年足らず。しかし、2025年1月にスーパーフライ王座を獲得、シングルの祭典DREAM✴︎STAR GP2025でも準優勝、さらには両国国技館大会でユナイテッド・ナショナル王者にもなり順調にステップアップしている。
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VICTORIA YUZUKI STORY

SPECIAL Interview

Yuzuki

幼少期

 出身は愛知県名古屋市。3人兄弟の真ん中で育った。「上に兄がいて下に妹がいます。子供の頃は、木登りとか、めっちゃ好きだったんですよ。外で遊ぶ。高いところに登るとか、そういうのが好きで。やんちゃとかではないんですけど、体を動かすことがすごい好きでした。学校から帰ってきたら外で遊んでましたね」。

 子供の頃は、興味の対象はいろいろと目移りするもの。「小学校の時は水族館のイルカのトレーナーになりたいと思ってました。イルカが好きで、水族館に行っては、イルカ目当て。シロイルカ目当て。ベルーガって言われてる白い頭がかわいい。ずっと、そのトレーナーになりたくて。イルカはショーがあって、イルカと一緒に何かをするとか、人を楽しませるみたいな。そういうものになりたかったっていうのはありました。でも、いつかしら、好きっていうままで終わってしまったというか」

 イルカに興味を持ったきっかけは、水族館に連れて行ってもらった時に、「飛び跳ねたりしてたのは記憶に残ってます。ショーを何回も見に行ったりしてたので。見に行く度に、こうやって人が楽しんでる。そういう人を楽しませる職業に就いてみたいなっていうのは思ってました」

 また、習い事として小学校4年生の時から柔道をやっていた。「最初は兄がやっていたこともあって水泳を習っていたんです。でも息継ぎがうまくできなくて、泳ぎながら水を飲んじゃう。何回も中耳炎になって。何度もお医者さんに行って。もうついにドクターストップかかっちゃって。もう辞めた方がいいですって言われて。辞めざるを得なくて。で、なんかやった方がいいんじゃないか、何か他の別のものを、となって柔道をやり始めたんです」

 父親の勧めで始めた柔道。「体験で行ってみたときは、すごい嫌で。でも、続けていくことに意味があるみたいな感じだったので。嫌々ながら続けたという感じです。でも、自分が得意とするもので勝つ時は、達成感があって。やっていて、よかったなと思いました。賞をいただくとか。その時はやってよかったかなと思いました」。

 通っていた道場は、オリンピック選手を何人も輩出しているところ。「私は、何もわかってなかったんですけど。体験に行ったところがたまたまでした。自転車でも行ける場所ではあったんですが、自分、結構めんどくさがりで行きたくないので。親に送ってもらってました(笑)。夜だし、学校終わってからの習い事。眠いし、行きたくない(笑)」

中学の部活はハンドボール部。「初めて球技をやったので。私、小学校の時からずっとドッジボールが好きだったんです。でも、全く違うルールだし、違うものじゃないですか。なんですけど、プレーするのが面白い。チームワークが大事なもの、柔道も団体でやるものもあったんで。みんなで、やるぞ!ってなると、自分も足を引っ張れないので、すごい燃えるし」。

 そして高校は柔道の特待生枠で入学。「ありがたいことに、お声掛けいただいて。自分なんかが、とも思ってましたが。でも、すごいありがたいことではあるので、やるしかないという気持ちでした。県大会で3位とかになってたので。そういうのとかが目を引いたのかもしれません」

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SPECIAL Interview

Yuzuki

なぜプロレスなのか?

 高校では柔道を頑張っていたがオリンピックを目指すまでではなかった。卒業後の進路も看護志望だった。「その学校に行くために、校内選考があったんですが、面接や論文が課題。そのための練習もあったんですが、ちょうどそのタイミングでコロナに感染してしまったんです。校内選考の1カ月ぐらい前。家庭内感染してしまって1カ月まるまる外出できない。何も練習できてない状態だったので、それで行っても受からないだろうって思ってきちゃって。だったら、好きなことやりたいなと思って。自分が好きなことはプロレスだ。プロレスは好きで、男子をよく見てたんですけど。じゃあ好きなことを職業にしようと思って。自分の意思を貫いて。一生貫いていこうと思いました」

 一般的に若い世代はプロレスを知らない人が多い。「自分も知ったのがYoutubeだったんです。ずっとボクシングとか格闘技を見ていて。そういうのを見てるうちに、急にポンって流れてきて。で、ちょっと気になるなと思って見たら、すごいアクロバティックなことをやったりだとか、そういう試合を見て、え?すご!と思って、気になるなと思って、そこからいろんな団体を見てました」。柔道からのつながりで、格闘技、プロレスへとつながった。いろんな試合を見ている中で好きだったのが、リコシェ。「ドラゴンゲートをずっと見てたんですが、リコシェを追ってました。WWEに行くまで追ってました」。しかし、生観戦までにはいってなかった。「見に行きたいなというのはあったんですが行くっていうほどの行動力がなかった。ちょっと怖いなというのもあったし。高校になって親を誘って初めて行きました。親もプロレスは好きだったので」

 初のプロレス観戦は2022年のスターダムのロワジールホテル豊橋大会。

「女子プロレスがあるのは知ってたんですが、スターダムに出会うまでは、あまり知りませんでした。男子しか見てなくて。母と行ったんですが。自分がこのスターダムに出会ったのが、(岩谷)麻優さんの試合。誰とやってたか忘れちゃったんですけど。本物が見れたと思って。動きとかも、わ!すご!ってなるし。その時から、麻優さんに憧れたっていうか、この人すごいなって」

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スターダムでデビュー

ローリング・アローはデビュー時からの得意技

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Yuzuki

スターダムに入団

 そして高校卒業時の進路選択。「進路を決める時、本当にやりたいこと、好きなこと。その一心。反対もあったんですけど。父は反対。最初、看護やろうだったんですけど、プロレスやろうって決めてました。プロレスのことしか頭にない。プロレスをするためだけに、プロレスをやる理由を考えてました。反対する人には、私はプロレスがしたいって伝えなきゃ納得してもらえない。自分の人生だから自分で決めさせてくれっていう言葉すら言いました」。

 そして、行動に出る。スターダムに履歴書を送り、書類選考に合格すると体力テストとなった。「名古屋に住んでたんですけど、学校休んで、東京に行って、スターダムの道場に行って。で、また合

否を待ったんですけど。合格しました!」。2023年3月、高校を卒業してすぐに入寮。「母が一緒に来てくれて。で、いろいろ必要なものを買って付き添ってくれました。その時、寮にいたのは南小桃さん、HANAKOさん、玖麗さやかだけです。あともう1人いたんですけど、今はいないです」

 両親のもとを離れること以外にも「いろんなことが初めて。怖かったですね。結構、自分、人見知りなので。初めて行く場所に1人で。自分からしたら先輩しかいないわけで。そういう人を目の前にして、怖がっちゃいました。行くのが怖いなっていう気持ちになっちゃって。でもこの寮だと逃げれない。同部屋の子がいたので、練習も一緒に行ってました」。

柔道の下地はあるものの、プロレスには特有の動きもある。

「基礎体とかは柔道とかと同じようなことをする。受け身は、ちょっと違いました。似てるんですけど。最初はマットを敷きながらやるんですけど。柔道の後ろ受け身は安全にいくんですけど。(プロレスは)1回空中に浮くところがあるじゃないですか。その恐怖心っていうのは、やっぱ確かに最初は思いました。でも、やるしかないと思って。もう勢いでやってました。その時は」

 そして、デビュー戦は2023年11月17日、大阪での渡辺桃戦。リングネームは「弓月は、弓月だよな、みたいな感じで。決まりました。(当時EPのロッシー)小川さん、いじるの好きじゃないですか。だから、自分が練習生の時に、名字どうするか問題になって。なんか色々いじられてはいましたけど。結局自分も本名がいいです、みたいな感じで。弓月となりました」。

 「プロレステストに合格してから、巡業には、ちょこちょこついていく感じではありました。プロレステスト合格は割と早め。本当は11月デビュー予定じゃなくて、もうちょっと早かったんですけど、足首を怪我してしまって」。デビュー戦が決まってから「プロになるんだっていう気持ちになって。いいところも見せたいっていう気持ちと、先輩に食らいついていきたいっていう気持ちと、いろいろ。緊張と。今、印象に残ってる試合は?って聞かれると、絶対、デビュー戦を入れるぐらい、自分の中では思い入れがあリます」。今、振り返ってみると「こういうプロレスがあるんだ。プロレスって面白いっていう気持ちになりました。私もこんな凄いレスラーになりたい」と思ったという。

 デビュー戦については、鮮明に覚えている人とまったく覚えてない人がいる。

「セコンドの声はあんまり聞こえなかったかもしれないです。でも、お客さんの頑張れという声は聞こえてました。でも、自分も焦っちゃうというか、食らいついていくのに必死になっちゃって。お客さんの歓声とかは聞こえるんですけど。セコンドについてくださってる先輩の声とかは聞こえてたかもしれないですけど、記憶にないです。終わった後、先輩方からはアドバイス、反省とか。もっとこうした方がいいとか。例えば、特に伝えるっていうのも大事なんで。あとはデビュー戦だったっていうのもあって、温かく接してくださった。自分にない、足りないものをアドバイスしてくださいました」

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Yuzuki

生涯一度のチャンス、新人王を獲得

年が明けた2024年、新人王決定トーナメントがあり見事、新人王を獲得した。「私もデビューしてほんの数カ月。2カ月ぐらい。それでも、それなりに頑張ろうと思いました。(優勝したのは)もう嬉しいの何物でもないというか。嬉しくて、もう嬉し泣き止まんなくて。で、ルーキー・オブ・ザ・イヤーになったからこそ、このキャリアだけど、自分をもっと成長させる、させていかなきゃいけないんだっていうふうに思いました」。

その後、岩谷麻優率いるユニット・STARSに加入。2月4日には吏南が持つフューチャー王座にも挑戦した。

「負けてはしまったんですけど、壁の高さと学ぶものの大きさも、やっぱりなんか違うというか。強さ。例えば技1つにしても精度だったりとか、1発の重さとか。気迫だけでは敵わない。吏南さんから学んだ。自分にはまだまだ、自分は本当にまだまだっていうのを感じるというか。だからこそもっと練習してやっていかないと、このベルトは、取れないっていうふうに気づかされた。そういうものの学びがあったから今がある。もっと練習しないといけない。人と同じことをしてたら、自分が上にはいけないんだな。何かズバ抜けれるっていうのを見つけて、上を目指していかないといけないんだっていうのは、すごく思いました」

(vol.2に続く)

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新人王決定トーナメントで優勝。右は同期のHANAKO

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ビクトリア弓月 プロフィール

2005年2月1日生まれ。愛知県名古屋市出身。身長160 cm、体重56 kg。スポーツ歴: 柔道

デビュー: 2023年11月17日、渡辺桃戦(アゼリア大正ホール)

タイトル歴:ルーキー・オブ・スターダム(2023年度)、マリーゴールド・スーパーフライ(第2代)、ユナテッド・ナショナル(第3代)

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