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Interview
No Guarantee vol.11掲載(2015年発行)
長与千種
1980年代後半にあった女子プロレスブーム。
その原動力は、ライオネス飛鳥&長与千種のクラッシュ•ギャルズという存在だった。
空手や男のプロレスの要素も躊躇なく取り入れた試合スタイルは、それまでの女子プロレスとは異なるもの。
その牽引者である長与千種が、女子プロレスに帰ってきた。
「That’s 女子プロレス」という大会を主催しながら、
いま、新団体「マーベラス」の旗揚げに向けて、準備を進めている。
Interview
Chigusa Nagayo
大江戸超花火
2015年5月23日、東京・大田区総合体育館で行われた「大江戸超花火」で大仁田厚と組んだ史上初の電流爆破ミックストマッチを敢行。試合後、大仁田絡みの試合限定で、現役復帰することを宣言した。
よく大仁田さんがネーミングを考えられるんですよ。開催場所にあわせて凄い素敵な名前を考えられるんです。このときは、「長与、考えてみろ」と言っていただいて。そんな光栄なことがなかったので。久しぶりに「花火」をやられる、都内でも本当に久しぶりなんだと。ここは江戸だし。花火を打ち上げよう、「大江戸超花火」と言ったらどうなのかなと。で、そういうふうにさせていただいて。舞台も、お客様がピーンと張り詰めたりとか、なんとなく馴染みがあるのは太鼓だなと。男の人たちが力強く太鼓を叩くというのは、よくあるんですけど。女が露払いする。祭りというと太鼓のイメージが強かったので、仕込ませていただいて。なおかつ、上にインパクトのある超花火という文字を置いて。お客様が来たときに度肝を抜かれるものが、どうしても必要で。舞台をつくってくれる人たち=大道具さんたちにもお力添えをいただいてまして。BATcrewさんといって、TUBEやベビーメタルなんかもやってる方たちで。いま自分に力添えをいただいてまして。凄く考えて考えて。(入場も)大仁田さんのことだから、きっと片手に神聖なる水を持って口にタバコを食わえて。ダンプさんたちは、フラッグをやられてるから結構人数多いだろうなとか。
自分は、嘘のないドラマ性が必要で。15分とか30分、1時間番組というドラマがあるとするならば、ドラマの最初、あるいは映画の最初か最後のシーンなのか、確実に衝撃的なシーンがないといけないと思ってしまうんです。たかがプロレス、されど、プロレス。そこを劇的な空間にするためには、リアルさっていうのが大事なんです。
自分がリングに上がることを許してくれたマーベラスの選手たちがいて、“過去の産物の人間”がリングに上がっていきます。その瞬間は、確実に、彼女たちが胸を張れる人でないといけないという覚悟を背負うんです。親の背中を見て育つという言葉がありまして。自分は、その背中をすべて背負ってるというところを彼女たちに見せたかったんです。だから、そこに何の演出もいらない。歩いていくストロークの間に、彼女たちが自分を通して何を見るのかな。自分というフィルター、個体、コマ、商品、いろいろな言葉がありますが、それを通して、本当に何を見るのかなと。だから、何の演出もいらなかった。ただ、自分が長与千種という人に久しくなっていなかったので、なれるかどうかというのが心配でした。
昨年の3.22「That’s女子プロレス」は、KAORUをリングに上げることが一番のメインだったので。どっかで、そっちに心を持って行かれるというか。ゲストも来てくれてますし、いろんな選手が来てくれている。滞りなく彼女をリングに上げることが重要でした。これ(大江戸超花火)に関してはメインイベント。久しく長与千種に戻ってないので、戻れるのかどうかという怖さが凄くあったんです。はたして、長与千種ってどういう人だったのかなとか。全然わかんないです。でも、もし、自分がリングに上がる事を許されるんだったら、きっと、戻れるだろうと。もし、ダメだったら、そこでチャンチャン(終わり)という覚悟もあったので。たった一人でも、すべてのお客様が見入るというか、じゃないとプロレスの面白さがないと思うんですよね。
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Chigusa Nagayo
50歳を過ぎて思うこと
全女引退後、ガイア•ジャパンを立ち上げ、順調に団体運営してきたが、突然の解散。赤字が積み重なったわけでもなく、当時のファンは、不思議に思ったもの。このとき、引退して表舞台から去ったのだが、実は、心残りがあり納得しての引退ではなかったということが、昨年放映されたフジテレビのドキュメント番組で明らかになった。
中途半端な気持ちでプロレス界に戻ってきたわけじゃなくって。仕事として見れば、こんな割の合わない仕事ってないんですよ。みなさんからは、派手に思われてるんですけど。いやいやちょっと待ってくださいよって、自分は笑いながら語れると思うんですけど。だって自分の残りの人生を全部つぎ込むわけです。人よりも楽に行く事もできれば、普通にお仕事だけしていくこともできるという気持ちもあれば。イバラの道真っ向勝負だねっていう選択肢もある。どれって考えたときに、どれもがんばるんだけど、普通にがんばるんだけど、楽な選択の仕方とか楽な生き方が一番嫌で。ある意味、イバラの道真っ向勝負って、このことなんだろうなと。
さて、自分が50歳になりました。あと20年間。60になったら徹夜できないだろうなとか考えながらですよ。いつも70まで生かさせてくださいって思ってるんです。70まで生きられたら、必ずや残します。必ずや必ずや、残して見せますっていう気持ちで挑む人生であっていいのかなとか。自分に何ができるのかなって思うんですよ。だけど、残りの人生賭けたヤツって、捨てるものがないんですよね。怖さがない。何もないんです。何も怖くないというか。そうすると挑んでいけるんです。50になって初めて年齢のことを考えた。人生のことを。あと20年。20年すべて賭けます。自分の人生かけるんで、無くすものもないし。そうすると、ある意味強いんですよね。いま営業というかたちでいろんな町にお邪魔させていただいて、いろんな人たちの力添えをいただき、頭を下げていくっていうことも覚えましたし。お前はスターだったのに、ってよく言われるんですけど。「いま、老いぼれですから、老いに惚れてますから。老いに惚れていく段階ですから」って。誰かを好きになるとか、誰かに惚れるんじゃなく、老いに惚れていく人間って意外と怖いものがないんですよ。逆に、頭を下げることを教えてくださってありがとう。捨てるものがない。そういうときは、強い。本当に強い。あとは、望むは健康だけ。そうすると20年の中で、何が残せるだろうか。きっと、思い通りにはいかないだろうから。いつも3パターンぐらい考えるんです。こういうふうになっていくんじゃないかな、ああいうふうになっていくんじゃないかなと。毎回クセなんですけど。カードを編成するときも、いつも3パターンぐらい考える。どれも正解で、どれも不正解なんです。でもどれかが枠に入っていく。だから、想像と創造というのは、自分の中で大事で。その3本くじの中のどれかが枠に入ってくれればいいなと思ってるんです。
よく言われるんです。長与さんほどプロレスの神様に守られてる人はいないですね、って。逆だと。私が女子プロの神様を守ってるんだよ。そうしないと、女子プロの神様の居場所がなくなっちゃうんだよ。「あっ、そうだね」って言っていただいたんですけど。もしも、女子プロレスの神様がリングに眠っているならば、守られてるのではなく、守るんです!
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Chigusa Nagayo
プロレスの在り方とは
プロレスのチケットを握りしめて来る人は、チケット代だけでなく、電車とか、バスとか、ときには車、飛行機、新幹線、いろんなかたちで来られるわけです。いろんなプラスαがついてるわけです。そのプラスαは、選手の入退場だと自分は思ってるんです。試合がチケット料金。だから、絶対手を抜いちゃいけないんです。
自分は甘いものが凄い好きなんです。小ちゃいときから鯛焼きが好きで。鯛焼きに頭から尻尾までアンコが入ってないとゴネる子どもだった。鯛焼きって、頭から尻尾まで、まんべんなくアンコが入ってるからおいしい。ということは、プロレスの会場を目の前にして、頭からアンコが入ってないといけないんです。終わって一歩出て、電車に乗ってもそうですよね。
プロレス=アトラクションだと思うんです。入る前から楽しくって、入ってからも楽しくって。終わった後も楽しくってというものじゃないと。例えば、ジェットコースターに乗った後って、みんな「怖かった」とかあるじゃないですか。だから、プロレスにもそういうものがないと絶対ダメなんですよね。
プロレスを長与流で言うと、これは賛否あるとは思いますが、プロレスは芸術だと思っているので。ひとつの凄いアートだと思う。そこに行きつくまでは、みんな泣くぐらいのトレーニングしてくるんですけど。みんなのことを芸術家だと思ってるんです。
この考えに至ったのは、全日本女子プロレスの後半ですね。常に求められるものは、強さじゃなかったんです。会社から求められるものは。女子プロレス界一扱い辛いって、松永会長(全日本女子プロレス創始者・松永高司氏)に言われましたね。凄い反発しましたし。反発する分だけ、動員数を求められるんです。そこでひるむことがなかったので。じゃあ結果見せればいいんだろうって、面倒くさい人間なので。結果を見せるということは、コップで言えば、なみなみのところから溢れ出す限界点までを追求する。こんなんじゃダメだろ。こんなんじゃお客さんが満足しないだろうとか。お客さんの満足度を少しずつはかっていくようになったのがきっかけです。そうすると、自分の中で、強さって何だろう。世の中には、喧嘩馴れしてる人は強いんですよ、間違いなく。その人たちにルールを敷いたところで、喧嘩馴れしている人の方が強いと思うんですよね。じゃあ、一番って何だろう。あくまでも自分の定義ですよ。全てをできるようになって一番というのもありますし。60分フルタイム闘えるのも一番だろうし。行き着いたところは、求められるところが動員数であれば、世界で認知されていくということです。日本だけなく世界の各国で、少しずつ認知されていくというものにベースを置くというか。(ニューヨークのMSGやメキシコ、カナダに)自分なんかが行きましたけど。自分を発揮できたかっていうと日数も少なかったので、わかんないけど。確実に、そこに名前を残すことはできてくるわけです。アメリカの州の中、メキシコ、タイとかいろいろなところ行きましたけど。そうすると、いつしか対戦相手が敵ではなく、ある意味、味方に変わってくるんです。その人たちと繰り広げるプロレスにおいて、自分の評価がお客様に伝わるわけです。そうすると、長与の試合は面白いよとか、あるいは、長与はこうだよとか、今日の長与はつまんなかったなとか。そういう世論に対しての長与の試合という、存在というのを知らしめていくっていうのが、天下取りにつながっていくんじゃないかなというのを、凄い思ってました。
女子プロレス自体が戦後の産物で、最初なんて見世物小屋からのアタックから始まって、ストリップの余興、キャバレー。いろんなところから始まって、横浜アリーナとか東京ドームも経験してきたようになったわけです。今はまた、昔に戻ってきてるんですよね、風潮が。レスラーたちが派手になればなるほど、マイナーになっていくのかな。いやいや違うのかなとか。団体が増えたからマイナーになってきたのかな。100人しかいない集落に50の屋台をだしても食い合うだけだと。例えば、モノも洋服もセンスっていう部分のものって必ず一回転するんですよね。時代は巡るっていうし。これかなって考えたときに、しんどいけど、もう一度スタートラインに戻ることは、素晴らしいことだと、自分の中で思うようになりましたし。じゃあ、その中での一番とは何だろう。時代の中で、一番の答えを探してるんですよね。すごい探してますね。
プロフィール
1964年12月8日、長崎県大村市出身。1980年8月8日全日本女子プロレスでデビュー。1983年にライオネス飛鳥とクラッシュギャルズを結成。1984年、「炎の聖書」で歌手デビュー。多くの女性ファンを獲得し、ブームを起こす。1989年に突然引退。引退後はタレントとしてテレビドラマや舞台での活動を行っていたが、1993年にプロレスラー復帰。1994年にはGAEA JAPANを設立、脅威の新人と呼ばれる選手を育成・指導した。2005年4月にGAEA解散と共に再び引退。以後はライブハウスやドッグカフェのオーナーをしながらプロレス興行のプロデュースなどを行う。2014年3月22日、大田区総合体育館でプロデュース興行「That's 女子プロレス」を開催し、一日限定で選手復帰、興行終了後、新団体「MARVELOUS」の設立を発表した。主なタイトル歴=WWWA世界シングル、WWWA世界タッグ、オールパシフィック、IWA世界女子、WCCW世界女子、AWA南部女子、AAAWシングル、全日本ジュニアなど。
※その後、女子プロレス団体「Marvelous(マーベラス)」を2016年に旗揚げ。後進の育成に力を注いでいる。Marvelous公式サイトはこちら
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Chigusa Nagayo
常にビジョンは考えている
マーベラスは、練習もガイアジャパンとはまったく違うやり方ですけど。プロレスラーになることに関して、いかに楽しい事なのか。いかに練習が楽しいものなのかを優先的に伝えようと思ってます。厳しさよりも楽しさですよね。厳しさだけをやっていると飽きちゃうんです。実は。自分が飽きちゃうんですよ。ガイアジャパンという団体としての会社の方針で、自分を形成しましたけど、それがすべてかというと、それがすべてではなくて。よく選手もめげずについてきてくれたなと、感謝と尊敬があるんですけど。自分が本当にやりたかったことっていうのは、楽しくないと飽きちゃうんですよね。自分も教えていて楽しくないと、若い子たちにまったく伝わらない。自分たちが、苦しみながらも輝きながら、楽しいそうにやってるんだよっていう状況であると、お客様に伝わるんだと思うんですよね。泣き笑い、怒り、すべてを包み込んで楽しいんですよ。意外と他の人たちと違うことを考えるんでしょうね。どうあるべきかとか。いつも何年か後を考えてるので。いつも、それで失敗するんですけど。ちょっと早かったなとか。せっかちなので、仕掛けが早すぎたりとか。ビジョンの中では、常に3年後5年後を。10年後はちょっとわかりません。あまりにも遠すぎるので。3年後5年後、自分がどうなってるんだろうというビジョンを描かないと、自分がつまんなくて。
いまのビジョンは。
「いろんなところに女子プロレスがあります。マーベラスという団体がある」。一つだけ言える事は、
「全日本女子プロレス マーベラス」になってます。確実です!
全日本女子プロレスがあったからこそ。この「こそ」の2文字がすごい大事で。会ったからこそ。出会ったからこそ。レスラーになれたからこそ。各地方に行けたからこそ。…こそ…、…こそ…、いっぱい…がつく素敵な2文字だと思うんです。その、「こそ」っていうのを大事にできてれば、確実に恩返しができていくんです。人に対しても本当にありがとうって思えるし。感謝もすごくできますし。こその二文字のつけどころってよく言ったもんですよね。
松永会長は、結構口にする人で、山買ったとか。あるとき、油壺だったか逗子だったか、2台クルーザーが停まってる。買ったって言うんです。「誰が運転するんですか。運転できるんですか」「オレ免許ない」って。ただ停めてるだけじゃんとか。無駄なくらいお金を遣う人だったんですけど。いいと思います。今思うと。そうしたかったから、したんですよね。だって苦しい時代が確実にあったわけですから。人知れずダメだと、うなだれることがいっぱいあったと思うんです、それを凌いでの自由なお金の使い方、自由な時間の使い方をされるんだったら、いいと思います。自分は、やらないけど、あれは、松永一族の素敵なところです。自分が貢献できたのかはわからないけど、本当の貢献は、「全女の光を絶やさないこと」でしょう。いろんな人たちの全女の捉え方はあると思うけど。言う事を一番聞かなかったので、恩返しするんです。きっと。一番わがままだった、言う事を聞かないレスラーが実は一番親孝行をしたがってる。
ブル中野に久しぶりに会ったりすると、全女のマークが入ったTシャツを着てるんです。ちゃんと息づいてるねと思うとニヤっとしてしまう自分がいて。「よしよし、ブルちゃん、いいね」と思ったりする自分がいたりとか。みんないろんな思いがあって。あと、(目黒の全女本社があった)あの場所だけは聖地なんです。80年代の、あの一角は、いろんな人の願いとか望みとか、いろんな思いがつまった凄い場所なんです。あれを取り戻すためには、何回も数限りなく死ぬ思いをしなければいけないんだろうと思うんですけど、挑んでやろうという気持ちは、全然ブレてなくて。
そんな思いを持ったきっかけは、北斗晶のひと言です。会長が亡くなる前に何度も秩父や海に連れて行ったり遊びに行ってたらしいんです。そのときに「チコさん(長与の呼び名)の名前が会長から出るんです。星伝説の話をするんです。ご存知ですよね。星がリングにたくさんある。自分もさんざん会長に聞かされたんです」と。「星がリングの中に埋まってんだけど、小さな星はとれる。けど、ひと際大きな星は仲々とれない。その星を持ってるのは私だと思ってたんです」。自分は、チャコちゃん(北斗の呼び名)じゃないのって言ってたんだけど。「それが、違うんですよ。その後にでてくる名前はチコさんなんですよ。いつも言うんです。そろそろ、その星を外に出しちゃえば良いんじゃないですか。もったいぶってないで。絶対に外に出すべきですよ。会長が言ってましたよ。横浜アリーナやりたいなと千種に言っといてくれ」って。全部が、160kmオーバーの豪速球投げられてる感じで、それも正面からじゃなく、側面であれ、後ろであれ、ボンボンきてる。嘘でしょう?「死んだ人は嘘言いませんよ」と。
その後、何で自分なんだろうと、初めて墓参りに行ったんです。夏の暑い日で。墓石にボンと座ってやった。「なんで自分なんだ。ありえないから」。花をさしながら。「自分にそんな力あるのかな」って凄い問いかけて。国松さん(松永一家の四男、元社長)とかにも。「もし、黙って見てくれてるんだったら、見といてよ。今度会うときは全女のリングを復活させたときだよ。それまでは会いにこないよ」って。本当ふてくされて、どんだけ墓石にむかって一人で文句をブツブツ言って。文句しか垂れてない、「どうせ長与は」と思われたんだと思うんですけど。「こいつは、いつもこういうことを言う子。久しぶりに会っても変わってないと言われるんだろうな」と思いながらも。今度墓参りに行くときは、正座して頭下げられるときです。それは屋号を変えるとき。全日本女子プロレス•マーベラスという。ただ、すべての名前は変えられないけど。法的な制約とかもありますから。そのときに初めて真面目な自分を見せてやろうかなと。面倒くさいやつなんですよ。墓参りにきてまで、文句垂れてるやつなんかいないですからね。
マーベラス旗揚げは、来年
プロレスの魅力って何ですかって聞かれるんですけど、統一してないので、仲々言わないんですけど、自分がカマすプロレスっていうのは、常にドラマなんです。例えば、 KAORUは泣いた分だけ、リアルを背負ってきるんで。このリアルさは、会場に来た人には、確実なボーナストラックだと思ってるんで。リアルを明確に伝えていくことって、プロレスの醍醐味だと思うんですよね。ドラマですよ。プロレスはドラマです。それが劇的空間じゃないと、まったくつまらないもので。ドラマじゃないと自分がつまらない。自分が泣き笑いしたいんですね。一喜一憂。喜怒哀楽。いろんな言葉が並べるとあるんですけど。これを持ってリングを見つめていたい自分がいるので。結局、飽きっぽいんです。飽き性なんです。飽き性の奴って、もっともっとってなりますから。
本当、プロレスってアートなんで。芸術なので。研ぎ澄まされないといいものはできないです。人に与えられる感動のある芸術はいいなって思うし。まあ難しいですね。毎回やる度に難しいですね。(若い子たちを)育てられるといいですね。レシピがないので、難しいんですよ。自分は教えてもらったことがないので。自分はプロレスが好きなんです。ずっと考えてます。プロレス頭計算するのも好きで。
でも、実は、長与にも苦手がある。短編ドラマは苦手なんです。1回こっきりの短編をやるのが苦手っていうのが、「That’s女子プロレス」をやって、わかりましたね。自分で弱点みつけちゃったと思ったんですけど。That’sは、いろんな団体の人たちを万遍なくフィーチャリングする、紹介する場だと思ってるんですよ。(大会の)最後にリングに上げる子は、自分がよく頑張ったねと思う子しか上げないし。そういうものだと思ってるんです。このリングにおいては平等。ただ、よその団体の選手だから、弄れない。それ以上。もし、弄っていいんだったらできる。(長与)ワールドに引き込んじゃいます。登場人物として。大仁田さんは、よく大仁田劇場っていわれるけど、だから面白いんじゃないですか。激情って、情熱の情っていうのもありますし、いろんな言い回しがあるんで。何が楽しみかって、それが楽しみなんですよね。マーベラスにおいては、さあどうしていこうかなとか、どう弄ろうかなとか。弄らせてくれるんなら、大河ドラマみたいなぐらいつくれますね。もし使えるんだったら、一夜にして、面白い映画を見せられます。ビッグマウスって言われるかもしれないけど。
親父がよく言ってました。「お金と時間があるとするならば、生きた使い方をしろ」と。そうすれば、そのお金や時間がどうなろうと決して無駄ではない。うちのスタッフが一番わかっていると思いますが、自分は、留まることを知らない。頭の中がドラえもんのポケット。飛行機に乗って行くのも、どこでもドアだと思っている。海外もボディランゲージでどうにかなる。この人、おかしいんじゃないって思われるかもしれないですが。
これからについては、どうにかしようって何か考えてます。「そこいく?」っていう感じになると思います。マーベラスの旗揚げはどうなってますか?って聞かれるんですけど、考えない訳ない。でも、「そういったか」ってならないと、自分がつまらないので、仕掛けたいんですよ。来年、旗揚げは確実にやります。チビちゃんたち(練習生)も年内にデビューさせてもいいぐらい育ってきてますし。ちゃんと仕掛けますよ。ありえない仕掛けをしていきます。スタッフも選手も、みんな振り回されますよ。常にスリリング。常にエキサイティング。常に問題定義、いろんなものがないとつまらないと思うんで。ふんだんにみんなに渡します!