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Interview

Mami Takahashi

煌びやかなものにあこがれて

高橋さんは、主に格闘技に関わるコスチュームを手掛けている。トランクスや入場時のコスチューム、応援用のフラッグなど、リングを彩る華やかな演出を盛り上げている。「お客さんがほしいと思っているものは必ず提供します。市販より高価なものなので、できるだけイメージを近づけます。フルオーダーなので、かたちができあがってからじゃないと完成形がわかりません。お客様と実際に会って、さぐりながら、雰囲気をみるんですよね。話しながら、生地をお見せして。着ているものの好みを見て。おおざっぱなデザイン画とか描いて決めていきます。いまはPCで、色とかロゴの雰囲気も見てもらえるので、わりとイメージしやすくなっていますが。こだわりといえば“イメージに忠実に”ですかね」。男女の区別なく、多くの選手がプランギャズに訪れている。

まず、この仕事に就いた経緯から。

「小さいときから、お絵かきが好きで、自分でものをつくることが好きだったんですね。いとこがバーニーズニューヨークのデザイナーをやっていて、小学生のとき、そういう仕事があるというのを知ったんです。かっこいい仕事があるんだ、いいなっていう憧れがあったんです。高校のとき進路を考えたとき、やっぱりやりたいなと思うようになって。美大とか桑沢研究所※に行きたかったんですが、ふつうの服でなく、キラびやかなものが面白いと思っていて。お姫様が着るようなものとかSF映画にでてくるようなボディスーツとかが好きだったので、舞台衣装科のある学校を探しました。授業はおもしろかったんですけど、なじめなくて。“服をつくりたい”ではなく“服が好き”な人ばかり。なんか薄っぺらいなあと思って。そんなとき、バブルがはじけて実家が大変になっちゃって、親から来年から行かせられないと言われたんですよ。だったらもっと腕を磨きたいと思って、縫製工場とかに就職しようと思って絵を描いて、たくさん面接に行ったけど、専門学校1年いったぐらいではとってもらえなかった」。

たくさんの面接で疲れきっっていたところで運命的な出会いがあった。

「あるとき、アルバイト紹介欄に“レオタード、シューズ制作”という舞台衣装的な案内があったので、“ン?”、面白そうと思って面接に行きました。そのときは芝居関係かなと思っていたんですけど。行ってみたら、オジサンがでてきて。“怖い、この人が会社の人?”って(笑)。中に入ったら壁にはプロレス有名マスクマンのポスターが貼ってあって。“それ?プロレス?”。今まで面接に行ったところとは置いてあるものが違っていました。ミシンとか道具とか生地とか。デザイン画を見てもらって、面接は5~6分だったと記憶しています。“縫うの好き?プロレスみたことある?いつから来れる?3週間は見習いだけど”という感じ。これがこの業界に入るきっかけだったんです。自分のイメージとは違っていたんですけど」。それが19歳のときだった。

Interview

No Guarantee vol.7掲載(2013年発行)

高橋真美

「最近思うようになったのですが。花嫁姿が女性の晴れの日の衣装なら、男性にとっての晴れの日の衣装、それは戦いに向かう鎧なのではないかと。闘いに生きる道を決めた選手の皆様が、痛い思いをしてたくさんの犠牲を払い、様々な覚悟を持ってリングに立つときに身に纏う衣装。 “晴れの日の鎧”が、お客様の最後の日のコスチュームになる可能性だってあるんです。打ち合わせが終わって、お見送りする際にいつも思うのは、“コスチュームは大丈夫!最高の物をご用意します!だから安心して、試合の準備をして下さいね”。既製服でも舞台衣装でもなく“リングコスチューム”を創る事へのこだわり。私の作ったコスチュームが、少しでも選手の皆さんの力になりますように」。
プランギャズを主宰する衣装クリエイター・高橋真美さんの言葉だ。

闘いの鎧を創り上げる。

Image by Olga Tutunaru

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Interview

Mami Takahashi

ものづくりと経営と

「最初は腕をみがきたいという思いが強かったんですが、製作の面白さは感じました。最初の1年は、素材の扱い方とか縫い方とか、基本的なことを必死で覚えました。どういう仕様があるのか、製作の仕方があるのか、見て覚えるという感じでした。社長はやさしかったですよ。怒鳴られたことはなかったですし。現場はピリピリしていて。スケジュールが迫っていたりすると、みんな3日間徹夜したり。本当に好きじゃないと務まらないタフな現場でした。試合当日にできあがって、そのままフラフラで観にいくこともありました」。そこで7年間、リングコスチュームやマスクなどを制作し腕を磨いていった。

「プライベートな事情で、やめることになったんですが、そのときに担当していた選手にごあいさつしていたとき、ある人から“個人的に頼めないか”と言われたんです。最初は断っていたんですが、細かいモチーフの話とかもしていたので、“真美ちゃんにしかつくれない”と言われて。そこまで言ってもらえるならとやったのが初めての仕事ですね。自宅の1室にミシンを置いて。そのとき、お客さんがいれば注文を受けて、できるかもと思いました。そうしたら、すごくやりたくなったんです。最初の半年は、ゆるい感じで動いていたんですが、決算書を書いているときに数字を見て、半年かけてこれしか稼げてないんだと情けなくなって。これは営業いかなきゃって思いました。そこから、仲の良いお客さんにボクシングジムを紹介してもらったり。新しくオープンしたジムなら、しがらみもないし。普通だったらジムまで注文とりにいくっていうのがなかったんです。サンプル帳かついで、打ち合わせに行って。待っているだけでなく、自分から動こうというスタイルができるようになりました」。

その後は、お客さんからの紹介や知り合いのデザイナーなどからの依頼で、注文も増え軌道に乗り始めた。

「1回つくった人はリピーターになってくれることが多く、お客さんがついてきたんですね。そうすると、次の試合はいつだからってなっていって。注文が増えていきました。“ほかのメーカー”ができないことをしようってつくっていましたね。たとえば、価格であったり、生地の種類を増やしたり。足を運んできちんと打ち合わせをしたり。つくり方とか自由度が高いので、できるだけ聞いてあげて、ギリギリまで対応します。店の運営と、ものづくりと、流れを把握できるようになって、“もっとお客さんが喜ぶものができるんじゃないか”“もっと面白いものができるんじゃないか”“こういうのが似合うんじゃないか”とか自分から提案できるようになったのが、5年過ぎたころからですかね」。

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Mami Takahashi

自分の想いと人の縁と

「いま思うと引き寄せられた感じです。学校1年でやめてなかったら違っていたかもしれない。人と違うことが自分にとって重要だったんです。デザイナーになりたいと思ったとき、ミラノとかのコレクションの雑誌を見るようになって、わたしがやりたいのはこっちだと思いました。オートクチュールってショー用なので、ありえないけど、こんな衣装がつくりたいと思いました。でも手の届かない世界だなと思って悔しかった。雲の上の世界だと思っちゃったんです。恋に落ちたときみたいに。いとこに“こうしなよ”って教えてもらって、ちょっとずついろんなことをやりました。“悔しい”という思いは消えないんだそうです。苦しいとか悲しい、楽しい、嬉しいは忘れるけど。いつも焦りがありました。できないことばかりで。自分だけが置いてかれるという気持ちになって。働けるんだったら早く働きたいと思っていました。いざ始めると、意地もでてくるし。うまくなりたい。きちんと経営できるようにしたい。お客さんがほしい。アテにされないっておそろしいって思いました。何もしないと気づかれない。技術はあるのに。だから必死に仕事をとりにいって。ものをちゃんとつくればわかってもらえると思って。いま、ありえない環境で仕事させてもらっているっていう感謝とか驚きはありますね。ほんとに、ご縁をいただいてやれてきている。だから、注文を受けたら裏切らない商品をつくるっていう絶対の約束はしなきゃいけないと思っています」

 「何年か前に将来のことをいろいろ考えたんですよ。お芝居とかの衣裳もやりたいし、なんで格闘技のコスチュームやってるんだろうとか。でも、まじめに戦略を考えると、いまは格闘技に関わっていて、私はこの世界の人間なんだと。もともと、格闘技が好きだったわけではないので、どんな有名な人でも若手でも、あくまでも“お客様と作り手”という関係。みんな必死で頑張ってるのを見ている間に、格闘技もプロレスも好きになりましたし」。そして、今年、温めていた企画がいくつか動き出す。

「大きな目標はいっぱいあります。選手だけでなく、選手のファンの皆さんにもプランギャズを知ってもらいたいし、そういう人たちにむけておもしろいものを作りたいですね。フルオーダーの店だったけど、プランギャズ・オリジナルの商品をつくっていきたい。あとは自由な制作物をつくって公表できる場があるといいな。媒体は何かわからないけど」。

プロフィール

プランギャズ主宰。リングコスチュームだけでなく、舞台衣装、インテリア・ファブリック、オリジナルフラッグ、ロゴデザインなどを手掛ける。

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※桑沢研究所:東京・渋谷にあるデザイン専門学校の先駆け。日本を代表するデザイナーを数多く輩出している。

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