SPECIAL
SPECIAL Interview 青野未来
No Guarantee web magazine(2024.7)
2024年4月、アクトレスガールズを離脱して新団体マリーゴールド旗揚げに参戦した青野未来。2017年にプロレスデビューして、2022年にアクトレスガールズのプロレス廃業に伴うプロレス休業以来のプロレス復帰となった。
青野未来STORY
SPECIAL Interview
Miku Aono
プロレス以前、アイドルから役者の道へ
幼少の頃は、「めっちゃ人見知りだった気がします」と振り返る。2つ上の兄と二人兄妹。「でも家だと結構活発だった」。「最初の覚えてる夢がセーラームーンで。その後はお花屋さん、ケーキ屋さんになりたかった」とごくごく普通の女の子だった。保育園では1年中裸足、半袖半ズボンで走り回っていたという。「保育園で結構体力ついたというか。めっちゃ丈夫でした。小学校は一回インフルエンザで休んだだけで、それ以外は6年間皆勤賞です。しかも家から学校が遠くて片道40分くらい歩いてたので」。
小学校では水泳、中学ではバスケットボールなどをかじっていて体を動かすことは得意だった。「あと何で参加したのか覚えてないですけど、合唱コンクールや鼓笛隊があってトランペットをやってました。役者になって一回、役でトランペットを吹くシーンがあって、音は出せるんですけど、楽譜があって演奏するとかそういうのは思い出せないです(笑)」
小学生の時、こんなことがあった。モーニング娘が好きで、そのショップが109にあることを知った。「結構、好奇心が強かった。埼玉に住んでたんですけど。109に行ってみたいと思って、一人で行ったりしてました。多分小5か小6のとき。モーニング娘のショップみたいのがあるというのを雑誌か何かで見て、行きたい!となって。その109って本当は町田の109だったんですけど、知らなくて渋谷の109に行ったんですよ。一人で行っちゃってました。多分、親に言ったら怒られたんでしょうけど。怖いもの知らずでした。今考えると自分でも危ないなって思うんですけど、行ってみたい。やってみたい!が強かったんですね」。
高校時代は「アルバイトを結構してました。早く大人になりたかったんですよ。16歳になったら、すぐ原付の免許取って原付バイクを買いました。大人の世界に早く行きたかった。シングルマザーだったので。親に負担かけたくないなっていうのはあったし。やっぱ自立したかったんですよね」。
高校卒業後は、美容の専門学校に通った。ネイル、ヘアメイク、メイク、エステ等ファッションに関する学校だった。「でも本当にやりたいことは違うものがあるって思いながら行ってました。資格とかもあった方が、いいかなという感じで」。そこを2年で卒業、「それこそ本当に就職を決めなきゃいけないっていうときに、どうしようとなって。知り合いや友人に相談していたら、たまたま紹介してもらえたんです。Chococoroっていうアイドルユニットがメンバー募集してるよと。たぶん卒業の年なのかな?卒業のちょっと前から、やりだして。やっぱりそっちに行こうと母も説得して。『本当にやりたいんだったらやってみれば』と言ってくれたので。そっちに行こうと決めて。それが始まりです」
Interview
Miku Aono
試行錯誤の日々
しかし、芸能活動は始まったものの4カ月後にグループが解散。
「解散するちょっと前に事務所を紹介してもらいました。そこは音楽事務所だったんですけど。私、音楽できるわけじゃない。ついてくれたマネージャーさんが、そうしたらやっぱり役者じゃない?となって。ワークショップとか受けさせてもらいました」。グループ活動と役者になるための活動を並行して行っていた。6月にグループが解散となって8月には初舞台となった。
「最初は毎回緊張してたし、アイドル舞台みたいな内容だったので。ダンスもできなきゃいけなくて。しかもダンス部の役だったんですよ。ダンスめっちゃ苦手だから。もう本当に試練でした。すごい必死でしたね」
そこから女優活動が始まった。
「劇団ANDENDLESSさんの舞台「陽炎ペイン」という作品に出演させて頂き、その後他の作品にも出演させて頂く中でお芝居が面白くなりました。お芝居を好きになったのはANDENDLESSさんの影響が大きくて、脚本、演出、役者さん全てに魅了されました。私ももっとお芝居うまくなりたいし、役者をやっていきたいと思いました」
芝居だけでなく映画への出演もあった。
「全部大変でした。劇場入り前の夜中というか、朝までとか稽古したこともあったし。やっぱりお芝居全然できなくて悔しかったし。ずっと自信も持てなかったし。楽しいはあったけど、やっぱり悔しさがずっとありましたね。どうやったら売れるんだろうっていうところと。お芝居だけで食べていきたいし。葛藤と焦りがありました。めっちゃ時間が経つのが早くて何が何だかわからないままやってたかも」。
その頃はどうしたら売れるか試行錯誤、いろんなことにチャレンジしていた。グラビア活動でDVDも出した。
「何でもやろうと思ってました。でもグラビアは気持ち的には結構しんどかったですね。体に自信もなかったので。好きではなかったけど、いい経験になりました。それにグラビアは最初、親に隠してました。恥ずかしくて。あとはバラエティ番組にも出演させてもらったり本当にいろんな経験をさせて頂きました」
プロレスデビュー前の貴重なショット
ビギニング主催の舞台にも出演(2017年)
デビュー戦を終えて安堵の表情を見せる
デビュー戦では一輪車の乗って登場
初めてプロレスを見た時に試合をしていた万喜なつみがデビュー戦の相手だった
Interview
Miku Aono
アクトレスガールズとの出会い
約5年役者として、多くの舞台にも出演してきたが、プロレスと出会うことになる。「前に共演したことがある役者さんからLINEで、こういうのやってみない?と連絡が来たのが最初です。プロレスについて説明されて。最初は無理無理と思って、大丈夫です、みたいな感じでお断りしました。でも会うだけ会ってみてほしいと言われて。代表と三人で会いました。居酒屋で。打ち合わせで居酒屋なんて行ったことなかったから、びっくりしちゃって。昼間夕方前ぐらいで飲むんだ?と思って。けどお話したらすごい熱く、“絶対スターになるで”と言ってくれて。そんなこと言われたこともなかったし。でも、めっちゃ胡散臭かったんですよ。それはそうじゃないですか。初対面でお酒飲んで、スターになるぞと言われても。え?みたいな感じで。とりあえず練習においでと。あと試合を見に行かせてもらって。後楽園ホールでディアナさんの大会だったと思います。ジャガー横田さんとかが出てて、万喜なつみさんもその時試合されていました。で、あの人がアクトレスガールズの人、なつみさんってすごい華やかだったし。素敵だなっていうのは思いました」
そして、練習に行くようになった。「ダメだったらやめればいいみたいな感じで言ってくれたので、じゃあ挑戦するだけしてみようかなって思えました。(実際は)やめれないんですけどね
(笑)」
体を動かすのは嫌ではなかったし、周囲からも「一番パワーがあるのは実は未来ちゃん」と言われていた。デビューまでの期間も短く、2カ月ほどでデビュー戦を迎える。相手は、初めてプロレスを見た時にリングに上がっていた万喜なつみ。「試合中のことも何も覚えてないです。本当に緊張してて、デビュー戦決まった時から、考えるだけでウってなって。うわーっていう感じの2カ月間を過ごし。すっごい当日も緊張して。終わった時、やっと終わったみたいな、なんとか終わったみたいな感じだったんですよね。ホッとしてたら、来てたお客さんに『試合終わって笑ってちゃ駄目だよ。なんで負けたのに笑ってるの』って言われて。その時にハっとして。あ、そうだ、これは戦いだと。私は安堵感で。本当にそれしか考えられなかった。確かに、私、勝とうとしたか?そこでちゃんとしなきゃなっていうのを教えてもらえたから、それは良かったなっていうのはあります」
KKMK(カケミク)を名乗った関口とのコンビ
関口翔とタッグを組むようになりプロレスが楽しくなってきた
Interview
Miku Aono
他団体参戦がようやく実現
デビューしてしばらくは感情を表わにすることもなく、淡々と時が過ぎていった印象がある。しかし、2年目に骨折。「やっちゃったんですね。初めて大きい怪我。申し訳なさと悔しさとで。でも、それまで外から客観視する時間って、あんまりなかったので。セコンドで見てて、すごい学べることって多いなというのを感じた期間だったから、無駄ではないなってと思ってます。リングに立てるようになったら今のフラストレーション全部出してやるって気持ちにもなれたし」。
この頃、同期の選手は他団体の試合に出るようになっていたが、団体の方針で青野の出番がなかなかやってこなかった。2019年10月27日、やっと他団体への参戦(アイスリボン)が実現。その年の12月からレギュラー参戦するようになる。当時のアクトレスガールズは、他団体に参戦する選手は成長スピードが早かったが、自興行のみ参戦する選手は、成長が遅い傾向にあった。
「劣等感の塊でした。どんどん同期がいろんなところで活躍するし、どんどん上手になっていくし。本当に自信なくて、悔しかったですね。でもそれが外に出てるイコールじゃないとは思ってなかったので、頑張んなきゃって。でも何をがんばったらいいんだろう?みたいな。もっと早く知りたかったです。でも多分それくらいから楽しめたんじゃないかな。プロレスも最初は楽しくなくて、悔しいばっかりだったんです。嫌ではないですけど、悔し過ぎて。思ったようにできないし。楽しいっていう余裕なんて全くなかったので。それぐらいから(関口)翔さんとタッグ組んだりとか。初めてそれくらいのタイミングで、ちゃんとプロレスを楽しめるようになった気がします」
本間多恵が持つベルトに挑戦
初めてのタイトルマッチはアイスリボンのリングだった
Interview
Miku Aono
2020年1月にタイトル初挑戦(アイスリボン、トライアングル王座、王者=本間多恵)。アイスリボンのベルト戦線に絡んでいくようになった。「アクトレスの中でも全然ベルトにも絡んでいけなかったし。嬉しかったですね。そういうことに関われるっていうのは。発言もできるようになって言葉にするようになっていったのが大きかったのかな。当たったことない選手と闘うとか、大きい選手、そういう人と闘うというのも結構未知だったし、やってみてハードだし楽しいってなって。たくさん知らないこともあったので、色々吸収できることも多かったですね。お客さんの反応も、アクトレスってホームだから、ちょっと温かい。じゃないところでの反応って、駄目なときも分かる。でもすごい応援してもらえたり、ウオーとかってなったり、結構ダイレクトに伝わってくるので。自分の中で学びになったし、場数を踏めたっていうのも一番大きいかな。だんだんこのリングに慣れていけた」
(vol.2に続く)
青野未来が選んだエポックな試合1
2018年11月15日 東京・後楽園ホール 川畑梨瑚デビュー戦 20分1本勝負
◆○青野未来(12分5秒 ジャーマン・スープレックスホールド)川畑梨瑚●
「初めてのアクトレスの後楽園。川畑梨瑚がそのとき期待の新人だったんです。そのデビュー戦の相手をするっていうプレッシャーと。デビュー戦の相手、その前にも多分やってるんです。ひめちゃん(有田ひめか2017.12.24)、だから2回目なのかな。大舞台で、デビュー戦の相手、しかも期待の新人というプレッシャー。印象的ですね。梨瑚がムーンサルトを練習してるのも知ってたので。ムーンサルト出してくるのかどうか、みたいなところとか。すごい覚えてます。でも自分もすごい学んだことも多かったし。一つ自信になったところなのかなっていうのは思いますね。引っ張られることが多かったので、その時って。デビュー戦の相手はやってはいたけど、人を引っ張るってことに慣れていなかったので。でも梨瑚良かったねって声が多かったと思うんですよ。全部ではないかもしれないけど、梨瑚の力を出せて、そういうデビューを見せられたのは私も嬉しかったですね。ジャーマンも初披露。練習していて大舞台だからっていうのもあったのかな。梨瑚に対してよりは、そこはやっぱりアクトレス初めての後楽園で、大きい大会で、自分をアピールするために、一つ何か上を目指したいということで。そこで出したかったなというのは覚えてます」
アクトレス初の後楽園でデビュー戦の相手を務める
ジャーマン・スープレックスを初披露
青野未来プロフィール
1990年8月21日、埼玉県出身。血液型A型。身長158cm、体重54kg。
プロレスデビュー:2017年6月25日。
タイトル歴:AWGタッグ(第2代、パートナーは関口翔)。得意技:スタイルズクラッシュ、ドロップキック、ラリアット、ダブルアーム・スープレックス、39(ミク)ロック、ジャーマン・スープレックス・ホールド。
2011年2月10日、ガールズユニットChococoroに加入し、芸能デビュー。舞台、映画出演多数。