SPECIAL
SPECIAL Interview 桜井麻衣
No Guarantee web magazine(2024.9)
試合後のマイクでの決め台詞が「この庶民が!」。このパフォーマンスが受け、貴婦人と呼ばれている桜井麻衣。2024年9月からWWEに行ったジュリアとの師弟対決を経て、大きな飛躍の時を迎えようとしている。
桜井麻衣STORY
SPECIAL Interview
Mai Sakurai
裕福な家庭に育った少女時代
小学生の頃、こんな出来事があった。「私立じゃない小学校に通っていて、自分では普通に振舞ってたんです。友達がフォアグラを食べたいと言いだした時。私は、家族が好きで、よくフレンチを食べに行ってたんですね。でもフォアグラって食べれないんです。残しちゃいけないので、食べなきゃいけないという厳しい環境で。トイレで吐きそうになるぐらいな思いをして、食べてたんです。だから友達には、いや、それ高いだけだし、マックのハンバーガーの方が断然いいと言ったら、その友達と喧嘩になっちゃったんですよ。私は嫌味のつもりはなんですけど、友達からすると嫌味に受けとられちゃったみたいで。そういう価値観の違いって、今は理解できるんですけど」。
インタビューやコメントで、貴婦人キャラと言われると「キャラではないです」と答えたり「貴族なので」、といった発言があるように、実際に裕福な家庭で、一人っ子で育った。
「テレビは見ましたが、お笑いとか、あまり見たことがない。親が見ている時代劇とか、日曜の大河ドラマとか、海外の映画やドラマが多かったです。クレヨンしんちゃんを見てたら、ちょっと怒られました(笑)」
お決まりの塾、家庭教師の他、水泳とピアノを習っていた。「何か楽器をやりたかったんです。バイオリンかピアノかで悩んで。悩んだ末にピアノを選びました。中学受験してるんですけど、周りは普通に公立に行くから受験しない。小学校で受験勉強してるって少なかったんですよね。そんな中で一番の心の癒しはピアノだったっていうか、ピアノをよく弾いていていました」。
両親の田舎が福岡だったのだが、その実家に行く際、6歳の時に初めて一人で飛行機に乗ったという。そこからCAに対する憧れはあった。「飛行機に乗ることがすごく多かったんです。飛行機がすごい好きで、一人で乗らせてくれって。子供用の席があって、そこで初めて出会った子とゲームをやったり。初対面でも友達になれました。空港も好きだったので、CAさんは憧れの職業ではありました。でも、なんせ英語が苦手なもので。うちの中学って英語の授業が多くて一日休むとかなり進んじゃう。バトン部の部活でケガしてしまって、通院してたんです。それで、授業全然を受けれなくて、苦手意識ができちゃいました。なりたいなと思いつつも、いやいや勉強してたみたいなところはあります」
中学、高校は品川女子学院、大学はフェリス女学院とずっと女子校に通っていた。「共学に行きたい想いはあったんですけど、縁がなくて。男子校の友達と仲良くはしてましたが、なんせ私の行ってた女子校は男っぽい子が多かったんです。女子高って綺麗なイメージあるじゃないすか。男子校の人に男子校より男子だね、みたいな。なんかちょっと男前みたいな。まさにジュリアさんとかみたいなイメージ、わかります?かっこいい。ああいうちょっとサバサバした子が多かったです。女の子っぽい人は少なかったですね。そういう人が多かったので、私もそういう風になりましたね。そこで一生かけがえのない友達ができて、この前の両国国技館もみんなが来てくれて。マリーゴールド面白かったって言ってくれました。大学は共学がいいなって思ってたんです。結局フェリスに行くことになって。それでもフェリスも楽しかったですね。東大、慶應、早稲田とか有名な大学の人と関わるサークルとかもあって、特に慶應と仲いいんですよ。自分も中学から私立に行っているので、高校時代の友達が慶應出たり。大学に行っても知り合い、友達の友達は知り合いみたいな、そういうクラスの知り合いが多かったですね。なので大学生、卒業するまで、人に気を遣ったことがなかった(笑)。同じような価値観、感覚していて。例えばランチとかを二千円とか、三千円とかかけても、値段とか見ないで入るみたいなことをしてました」
SPECIAL Interview
Mai Sakurai
大学で芸能の仕事に触れる
大学では読者モデルサークルに属していた。石川町にあるキャンパスでは、入学式の日、サークルの勧誘が盛大に行われていた。他大学のサークルの勧誘も多くチラシ配りが行われるのが恒例だった。「大学の入学式はすごく気合いを入れていきました。やっぱりフェリスってすごいってイメージがあったので、ちょっと馬鹿にされないように」。それが功を奏したのか「何十枚もらった中のひとつで、仲の良かった友達がここに入りたい、ここにしようよって言ったのが、そのサークルだったんです。青山学院のインカレのサークル。でもこのチラシを持ってる人しか行けない。運よくチラシもらえたんですが、そこがきっかけで、芸能の仕事とかに興味を持つようになって。モデルをやってる子が多かったんですよ。CanCam、ViViとか、お天気お姉さんとか。男の子だったら、ミスター○○みたいな」。
サークル活動のメインは「みんなで遊びに行くっていう、それだけです。バーベキューをしたり、スキーに行ったり、飲み会をしたりとか。いろんな学校、大学の友達と交流する場みたいな感じでした。そう言うと何かチャラいねって言われるんですけど、全然そんなチャラくはなかったです」
また、大学時代に韓国に留学した経験も持つ。「大学生の時にいろんな国に友達と行って、韓国にはまってしまったんです。もともとは興味なくて多分一生行かないだろうなと思っていたんですが、友達の誘いで行ってみたんです。そしたら自分が一番ハマってしまって留学までしてしまって(笑)。食もそうですし、美容、音楽も聴くようになって。日本で一年ぐらい勉強して留学したのは夏休みの2カ月ぐらい。その韓国梨花女子大学って韓国人ならみんな知っている大学なんですけど。フェリスよりも全然大きい有名で頭のいい大学。財閥の娘が行くような。そこになんとか行けて。それは本当に自分のただただ好きだから」
就職活動では、憧れのあったCAを受験。大手航空会社に合格したが、「そのとき芸能の仕事もしていたんですが。果たして一般的な企業の、何時に行って何時間働いてっていう、そういうの向いてないなと、どこかで思っていたんです。自由に大学に行くという気質で、ちょっと不安になってしまって、就職はしなかった」。
両親は反対したが、過去にあった出来事で諦めムードもあったという。中学受験の時、他の子たちは、どの大学に入る、どの企業に入る、起業するといった将来の目標が明確だったが、「特にこれといった目標もなく、なんとなく勉強していて、中2、中3くらいの時に何のために私は勉強しているんだと親と凄く喧嘩した時期があったんです。親は多分、なんとなくちょっと違う道に行くだろうってのは分かってたと思うんですよね。なので、もうやりたくない、普通の会社に行きたくないと言った時に『出ましたっ』みたいな。『勝手にすれば』みたいな感じになって。今に至る感じです」
桜井が初めて見たプロレス、安納サオリvs才木玲佳
所属事務所に関係があったという才木玲佳
SPECIAL Interview
Mai Sakurai
就職内定を蹴って芸能界入り、そしてプロレスラーへ
大学卒業後はプロダクションに入り、グラビア、モーターショーのコンパニオン、バラエティ番組、舞台活動を行なった。映画やドラマにも「セリフはないんだけど」出演。そして、プロレスと出会う。
「アイドルがいっぱい出て四方に客席があって360度から見られる、そこでダンスバトルをする舞台があったんです。その時にお世話になった演出家の人が、アクトレスガールズの代表と知り合いで。“やってみたら”と声をかけていただいたんですが、一回断ったんです。私にはできないですと。そして1年後ぐらいですかね。やっぱりやります!と。体が44kgぐらいになっちゃった時があって、ジムに行って体を鍛えだしたんです。そしたら、体を動かすことが楽しくなって。その時に、そういえば、プロレスの話をいただいてたなと思い出して。見に行きたいですと言って見に行きました。その時の試合が、安納(サオリ)さんと才木(玲佳)さんのタイトルマッチだったんですよ。それが初めてです。才木さんは私が所属してた事務所の系列の事務所に所属して他ので、知ってましたね」。
プロレスは見たこともなく、テレビでたまに見る北斗晶、アントニオ猪木、長州力、蝶野正洋ぐらいしか知らなかったという。「思ってたのと全然違いました。プロレスって怖いイメージがあったんです。昔の人って、体が大きくて、しかもメイクとかも怖くて、危険なことすると思ってた。でも二人はビジュアルもいいし。安納さんは私と同い年。同い年の人が、綺麗で、美しく、感情が揺さぶられました。ベルトが掛かってるということで、お互い、意地の張り合いとか、どっちを応援してるわけじゃないですけど、頑張れ、どっちも頑張ってほしいという、見てる人、こっちの心を動かす気持ちと、結果が、一人は悔しい、一人は嬉しい、そこにドラマがあって。そこに入り込んでいる自分がいて。自分も人の心を動かせる、そういう仕事をしたいなと思ったのと。いつか、この人たちみたいにタイトルマッチで、人に、元気、パワー、そういうエネルギーを与えたい。そのために、頑張ってみたい、入門してみたいと思いました」
ずっとバトンをやっていたこともあり、体を動かすことは嫌いではなかった。
「最初、後ろ受け身が一生できないと思いました。痛すぎて。デビューは無理かもしれないと頭をよぎりました。あまり諦めない性格なんですけど、それでも、無理かもしれないと思うぐらい怖かったです。ロープも痛いし。アザだらけ。でも、やめたいと思ったことはなかったし、続けたいと思ってました。デビューまでは半年ぐらい。最初の3カ月ぐらいは練習に週に2回ぐらいしか行けなくて。最後の1カ月半、2カ月ぐらい、みっちり練習しました」
デビュー戦を終えて
デビュー戦は赤いコスチュームで登場
デビュー戦の相手は青野未来。一度は違う道を歩むが、マリーゴールドで再会
SPECIAL Interview
Mai Sakurai
デビュー戦を終えてもっとプロレスが好きになった
デビュー戦は2020年2月11日、相手は青野未来。「デビュー戦、すごい覚えてます。前の日に緊張しすぎて、当日は、緊張マックスだったので、今思うとそんなに緊張してなかったかもしれませんが割と冷静だったと思います。先輩たちにすごいねって言われました。セコンドの声が聞こえるんですよ。デビュー戦の時って周りの声が聞こえない人が多いらしいんですけど。未来さんのドロップキック、すごい威力で、鳩尾に食らって息ができなくなって、どうしようとなりました。今だったら対処法がわかるんですけど。その時にセコンドから行け、耐えてって。それを聞いて、ちょっと落ち着けた。良いデビュー戦だったよと言ってもらえることが多くて。未来さんに本当に感謝してます。またこうやって、ここで出会えた縁をすごく大切にしていきたい。未来さんとは同い年なんですよ。なので、昔、一緒にディズニーランドに行ったり、しゃぶしゃぶを食べに行ったり。未来さん、しゃぶしゃぶ大好きみたいで。私も大好物で。そういう似てるところもあるので。ここにきてからは、お互い、立場も変わってきてるので。仲良いとばかりは言ってられないんですけど。昔のことを思い出すと、いい関係になれたらいいなと思います。デビュー戦はすごい楽しかったんですよ。もちろん、こんなに痛いとびっくりしたこともあった。先輩たちに尊敬の気持ちがいっぱい。これを毎週してるのかと。たくさんの人にこんなに応援されることって、人生で、なかなかない。心地良いし、頑張った分だけ。応援してくれる人に良い試合を見せていきたいなと思ったし。デビュー戦を終えて、もっともっとプロレスが好きになったし。やっていきたいと思いました」。
デビュー戦には母親も観戦に来てくれた。「親は、正直、最初は心配してたし、絶対見に行かないと言われました。応援はするし、したくないわけじゃないけど、怖い。自分の子どもが殴られてるのは見に行けないと言われたんですけど。母はデビュー戦、来てくれたんですよ。“向いてるんじゃない、性格的に“と言われて。心配というのは、いまだに言われます。母は友達みたい、お姉ちゃんみたいな感じの人。一緒に私がハマってるものにハマってくれたり。一緒に遊びに行って楽しんでくれたりとか。友達感覚というのがあって無邪気なところもある。性格は割とはっきりしていて物事をズバズバ、悩んだりした時とかは。基本、私のことを肯定してくれない人です。こういう出来事があった。“それ、あなたが悪いじゃない。あなたのそれがダメだから、こうしたらいいんじゃない”。例えば、人間関係もそうだし、物事で悩んだ時には、その考え方はこうした方がいいと説教入るみたいな。だから本当に誉められたことないですね。子どもの頃、一人でいることも多かったので、普通だったら、寂しいとか言ってもいいと思うんですけど、絶対言わないから。そういう面ではすごいねと言われたことはありますが」。
パンフレット用の撮影で
安納サオリきっかけでジュリアを知ることになる
お手製のブーツを持ちこんでアピール
2021年4月13日、新木場のリングで
桜井麻衣プロフィール
1990年9月14日、東京都出身。
身長164cm体重58kg
2020年2月11日プロレスデビュー(青野未来戦)
タイトル歴:アーティスト・オブ・スターダム王座(第30代=パートナーはジュリア&テクラ)、マリーゴールド・ツインスター王座(初代=パートナーはMIRAI)
SPECIAL Interview
Mai Sakurai
ビッグブーツの起源
プロレスデビューと並行して芸能活動は行っていた。「埼玉テレビで極楽とんぼの山本さんとロンドンブーツの亮さんがやってる『極楽山本・ロンブー亮のARIGATEENA TV』という番組でお二人に割といじられてました。山本さんの『けいちょんチャンネル』というYoutubeチャンネルがあるんですけど、そこにも出させてもらったりとかして。いまだに試合も見に来てくださいますし。収録中とかも、試合頑張ってね、今度行くねとか言って下さって。お二人ともプロレスにすごい興味持って下さって。自分があまり前に出る性格じゃないので、なんとか、お二人が引っ張って助けてくださって感謝してます。私はヒールレスラーになりたいとずっと言っていて、結構振られるんですけど、真面目に答えちゃう。番組でなんていう技が得意なの?と聞かれて。その時は技を持っていなかったんですが。ビッグブーツというのがありまして、と話したら、今度からロンドンブーツにしちゃいなよと。いいよ、いいよ、やりなよと公認されて『ロンドンビッグブーツ』ってやってました。スターダムに入った直後、ロンドンビッグブーツやってるの?と聞かれて、もうやめましたと答えたら“やめたの?なんで?”と怒られましたけど(笑)。セクシー男優のしみけんさんが来た時、『狂い咲き』という言葉をもらって『遅咲きは狂い咲き』ですかとか答えたら、山本さんが、それいいじゃん、それ使いなよと。そこから使わせてもらったり。芸能の仕事で、関わった人たちの意見を割とプロレスに取り入れてたりします」。
プロレスラーになってから他の人の試合も見るようになった。「安納さんきっかけでアクトレスガールズに入ったので、安納さんの試合をよく見てたんですね。安納さんがジュリアさんとタイトルマッチ(2019年7月21日)したのは、デビューしてから見たんですけど。その映像を見た時に、ジュリアさんの試合後のインタビューで話してる言葉、気持ち、本当に芯の通ってる人だと思ったし、考え方が好きだなと思ったのが印象的でした。その後ジュリアさんと木村花さんの試合とかは見てました。たむさんとの髪切りマッチも見ました」。安納サオリきっかけで、後に大きな影響を受けるジュリアという存在を知ることになる。