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プロフィール
1997年5月28日、青森県出身
身長:172cm
得意技:アルゼンチン・バックブリーカー、ランニング式パワーボム、ジャンピング・ニーパッド
デビュー戦:2017年12月24日 対青野未来戦
タイトル歴:アーティスト・オブ・スターダム(26代=パートナーはなつぽい&舞華)、ゴッデス・オブ・スターダム(第20代=パートナーは舞華)、BEYOND THE SEAタッグ(第4代 =パートナーは高瀬みゆき)

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ひめか

INTERVIEW

2023年2月10日、突然引退発表を行った女子プロレス・スターダムのひめか。2017年12月年のデビューから5年でレスラー生活を終えることになった。ジャンボ・プリンセスの愛称で、大きな期待を持たれていたが、シングル・ベルトには手が届かないままの決断となった。NO GUARANTEE19号(2021年発行)でスターダム参戦直後のインタビューを掲載した。その時、いつまでプロレスをやろうと思っているかの質問に「25歳までは、やるつもり。その時になって判断する。環境が変わり成果が出ていたら続けるかもしれないし辞めるかもしれない」と答えていた。その言葉通り25歳という年齢での決断となった。
ひめか本人と関係者に話を聞いたので、5回に分けて紹介したいと思う。

―引退の発表は驚きました。

「自分は20歳でデビューして、プロレスを始める前、アイドルをやっていたんですけれども、やっぱり何の職業でも意欲があれば何歳でも続けられると思うんですよ。その中でもプロレスは、リングに立つ体があって応援してくれるお客さんがいてくれたら、本当に何歳になってもできるなと、プロレス界に入って思いました。賞味期限がないというか。それは、良い意味でも悪い意味でもあるなと自分は捉えていて。家族を安心させるために、始める時に25歳までで自分が納得するところにいってたら、あとは家族がやりきったねと思ってくれるところまでいったら、辞やめるというのは、自分の中での決意。それがあるから始めたというのがあって。実際25歳になって、25歳の1年間を振り返ったら、赤いベルト白いベルト(赤=ワールド・オブ・スターダム王座。白=ワンダー・オブ・スターダム王座)、落としてしまったんですが、アーティスト(オブ・スターダム王座)のベルトを持っていたし、ゴッデスのベルトに挑戦したり、IWGP女子王座決定トーナメントのDDM(ひめかがメンバーのユニット名=ドンナ・デル・モンド)のユニットの選抜に選ばれたりとか、普通の人が経験できないような1年を過ごしたなと思っていて。でも、それが自分の中でのピークとどこかで感じてしまって。どこか大事なところで成果が出ない。大事なところで、失敗してしまう。というところが自分の弱さ、甘さなのかなと思うのと。あと25歳の時に父が亡くなったというのが大きくて。人間、明日があると当たり前のように思っているじゃないですか。でも健康で、おやすみと寝て、次の日を迎えられない人もいるんだなというのを身にしみて感じた。命って儚いものだなと感じたので。その中で25歳で決断して、次30歳と思った時に、その5年の間で、そうなってしまうと考えたら、キラキラしている輝いているところで辞めた方が、自分にとっても悔いがないと。良い人生だったなと思うだろうし、家族も心配しないだろうし。お客さんからしたら悲しいかもしれないけど。でも、落ちていくひめかを見ないで済む。そこが色々重なった25歳だったので、ちょうどいいかもしれない。タイミングが重なることは仲々ないので、今だなと思いました」

ゴッデス王者の舞ひめ

舞華とのコンビで、ゴッデス・オブ・スターダム王座を獲得

―腰の負傷で欠場とか怪我もありましたが、そこは理由ではない?

「これは両親に感謝なんですけど、めちゃくちゃ強い体に生まれて。確かに腰の分離症をやってしまって欠場数カ月とか、膝や肘とかちょこちょこ。レスラーだったら当たり前のような怪我はあったんですけど、本当に人より回復力が早くて。1カ月もすれば怪我したことを忘れるぐらい回復しているので。そこに関しては、だからこそ、大きな怪我をする前に、というはあります。25歳というのはあったんですが、手術をするような怪我をしたら考えなきゃなと思っていたので、今、それがないというのが、なかなか珍しいというか。スターダムの中で、これだけ激しい試合をしていて試合数も多い中、怪我してないというのは珍しいと思うので。怪我をしてないのが理由というのはあるかもしれない」

アーティスト王者の舞ひめぽい

アーティスト・オブ・スターダム王者時代は、特別仕様のコスチュームも用意した

―周囲から、勿体ないとか相当言われたのではないかと想像できるのですが。

「シングルのベルトも、お客さんからしたら獲るのが、レスラーとしての一つの区切りなんじゃないかと思うかもしれないですけど。自分の中では、そういう定義はプロレスに関わらず、あるようでないと思っていて。アイドルをやっていた頃から、センターとるだけがアイドルじゃないし、それこそ、アイドルが好きだから。自分が好きなアイドルって、急に辞めるんですよ。その後、芸能はやらない。一般人に戻る。SNSやらないという人が多くて。心の中では悔しいな、もっと見たかった、もっとキラキラして次はセンター行けたのにと思うけど、逆にそれが綺麗だと。それを受け入れてきたから、それが美学だと自分の中にある。やっぱりこの決断しなきゃよかったというのは今のところなくて。この決断ができたからこそ、残りの日数を、お客さんにどれだけ伝えられるか、みんなにどれだけ感謝を伝えられるか。ひめかというものをどれだけ大きく残せるかができるので。その気持ちを元々持ってれば、めちゃめちゃいい選手になれたかも(笑)綺麗なうちにやめれる。私の中では、それって美しいと思っちゃってるので。それこそ、引退しますと言った時に、勿体無いよと思われる選手って、そういない。やればやるほど、そろそろだろ?となるのが嫌だったんですよ。なんで今?と思う方がいいなと思うし。選手が増えれば増えるほど、生え抜きの選手でも引退という言葉は出てくると思うんです。やっぱ、引退引退引退となるよりは、誰も引退してない時にというのはありました。自分が決めた今、ずるずる続けずに辞めたいなと思いました」

DDM

DMMのメンバーがリングインをサポート

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