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SAKI

Saki

COLOR'S INTERVIEW特集最後に登場するのは、リーダーのSAKI。2022年12月26日、東京・新宿FACEで自身の10周年を記念する『KING OF THE KAWAILD♡』を開催する。

※リングネームを沙紀としていた時期(2016年12月~2019年3月)もあるが、ここではSAKIで統一。

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SAKI

INTERVIEW

「運動は嫌いです。兄弟は4人。兄と10歳下の妹、12歳下の弟がいます。普通の小学生でした。勉強も部活も嫌いだったから、中学1、2年生も、全く勉強していなくて授業中、ずっと喋ってました」と幼少期を振り返る。「中1でなんとなくバレー部に入って、夏でやめました。運動音痴なので、好きじゃなかった。中3の時に文芸部ができると聞いた時、今入ったら部長になれると思って入って部長になりました。内申書のために(笑)。小中は、ずっと放送委員会。応援団とかはやっちゃうタイプです。運動は嫌いだけど、体育祭とかは張り切っちゃうタイプです。高校は、制服がかわいいところを選びたくて。第一志望には落ちてしまったんですが、滑り止めで受けた木更津の学校に行きました。誰でも行ける、でも、それが嫌。入試テストの時、特別進学クラスが空いてるから、希望者は名乗り出てくださいと言われたので、そこに名乗り出てみて、特進に入りました。一学年800人の中の40人。勉強も部活も嫌いだったから、中学1、2年生、全く勉強してなかった。授業中、ずっと喋ってる。中3になって、全部スタート。is,am,areから」。
小学5、6年生の頃、フジテレビの『とんねるずのみなさんのおかげでした』で、とんねるずと番組スタッフが結成した野猿(やえん、活動期間=1997~2001年)という音楽ユニットにハマった。それが、今につながるベースだという。今、入場時に着ているガウンのデザインを担当しているのが、野猿のメンバーなのだ。「野猿が好きで。将来、テレビの裏方のなろうと決めてました。卒業アルバムにも、それを書いて。中高、それを貫いて、そっちに行けるような大学に入ったんですが、中退してしまったので、吉本の吉本クリエイティブアカデミー(YCC)という学校に行きました。1期生でした」。大学を中退したのは、大学があったエリアでバイトをしていたが、バイト先で嫌なことがあり、そこに行きたくなくなってしまったのが原因。「人見知りだったので、わかんないことを聞けない。聞くことができない。聞けないまま、どんどん進んでいくと、ダメだと、諦めちゃうタイプ。ずっとそう。数学とかも、諦めちゃう」。YCCに通いながら、フジテレビの社員食堂でもバイトをしていた。「YCCでは心得から企画の仕方などを学びました。自分たちが面白いと思ったことを動画で撮ってくるとか。私の時は半年間、後々1年になったらしいですけど。学校は楽しかったと思います。人より特筆するものはないと思っているし。自分でローンを組んでお金払って、大学やめて入っているし。とにかく先生に覚えてもらうために、一番前の真ん中の席に座ってました。早めに行って。真面目に授業を受ける!」。卒業後は、学校から紹介してもらえる制作会社の中から、『みなさんのおかげでした』を担当している会社を選択。しかし、最初の担当が『おはスタ』。ADとして働き出したら、本当は出る方がやりたいんだと思うようになり、「おはスタ」の番組が終わった時にADをやめた。「自分が出たいので、やめますと言って。会社の人からは、『みなさんのおかげでした』担当になると言ってもやめる?と聞かれて。なれないだろうという思いと本当に?という思いと迷ったんですが。5年やってダメだったら戻ってきますと言って、やめました。その後、フジテレビの社食に戻ったんですけど、学校で同期だった子が、『みなさんのおかげでした』のスタッフとして社食に来た時は、エッとなりましたね。マジか~」
ADをやめた後はバンド活動を2、3年やっていたが解散。そして面白い形で歌を続けたいと探していた時に、アイドル・レスラー・ユニットに出会った。野猿に嵌ってはいたが、ハロプロも好きでアイドルへの憧れはあった。

今に至る経緯

CDデビューとプロレスデビュー

次の活動先を探していた時、あるオーディションを見つけ、受けたら合格した。プロレスが特技のアイドルユニットの募集だった。
「プロレスは見たこともなくて、プロレスラーになるとは思ってなかったですね。プロレスは、ライブの途中でパフォーマンスでやるぐらいに思ってました。他のメンバーも、そう言ってましたし。でも、気がついたらプロレスラーになってました(笑)。受け身の練習とかは人一倍やってきたと思います。でも、なんでリングを叩いてる(受け身の動作)かも知らなかったですもん。見たことないから。体はめっちゃしんどいです。その時、23歳だったんですが、自分の中では、めっちゃ歳いってると思っていたから焦ってました。母からは、プロレスだけはやめなさい、と反対されたし、怪我しちゃうし、子供産めなくなる可能性もあると。反対を押し切ってやっていたので、意地でやってました。後がないという焦り。今考えたら、23歳なんて、めっちゃ若いですけど」。
そして、CDデビューは実現したものの、会場などで手売りしなければいけない。1年目は5試合のみで試合数も制限されていて、思うように売ることもできない状況。2年目になって、我闘雲舞への定期参戦が始まった。その頃には、アイドルユニットのメンバーも二人(SAKIとMIZUKI)しか残っておらず「二人でやめずに頑張っていこうね」と話していたものの、年齢差が7つ。23歳の焦りも継続していた。そんな時だったので、我闘雲舞で出会った帯広さやかが年齢差1つ。「歳が近くて、自分の気持ちをわかってくれる人ができた。側にできた。みずぴょん(MIZUKI)とも支え合ってきましたけど。帯たん(帯広)とは、若さに対する抵抗もなく一緒に練習できました。安心感ですかね。同じ歳ぐらいで頑張っている人が側にいるという」。そこから、説得力のある体になろうとウエイトトレーニングを始め、肉体改造を行った。「帯たんに負けたくなくて、やってました」。
5年間、頑張ってきたが、年齢も28歳になる。30歳を前にして、ますます焦りが増大していった。毎日のトレーニングには通っていたものの、バイトしながらの生活は苦しかった。限界だった。
プロレスは継続しようとフリーとなり、我闘雲舞やWAVEなどの団体に参戦する。そんな時、アクトレスガールズの代表から「新しい団体を作るから、トップとしてやらないか」という誘いを受けた。いろんな団体で試合をする中で、アクトレスガールズとの試合もいくつかあり、その存在は知っていたが「女優さんたちがやってるのかな」ぐらいの認識。「アクトレスって同い歳くらいの人がいっぱいいたんですよね。(本間)多恵ちゃんとか(角田)奈緒ちゃんとか。年齢が近い人がいっぱいいるのが大きな理由です。歳のが近い子が夢を持って頑張ってるから、何か目標が見つかるのかなって思いが強かったですね。楽しそうにしてた印象もあるし、大人だから礼儀もあるし。キラキラしてるイメージはありました」
そして、入団後にシングルベルト創設の提唱を行なった。「人数が揃っていて、みんながプロレスと向き合っている上で、みんなが目標にできるものがあるべきだと思ったからです」。王者決定トーナメントでは、安納サオリに勝利を譲ったものの「自分が一番だと思っていたので悔しいけど。今考えると、自分がいる団体の中で、ライバルができたということが、嬉しかった」。
初代王者にはなれなかったが、2021年に高瀬みゆきから王座奪取。

color’s旗揚げ

2019年1月に予定通り、“新団体”color'sを旗揚げした。2018年秋のアクトレスガールズ後楽園大会で発表し、そこから練習もBeginningとは分けて行い、color's練習も始まった。「みんなで、color'sっていう名前を考えたんですよ。color'sに入った子って、茉莉さん、(清水)ひかり、未依ちゃん以外はみんな新人。まずはプロレスを好きになって欲しくて。カラーズの合言葉もみんなで決めて。『夢の数だけ、花咲くキャンパス。あなたとlink! we are color’s! 』。みんなの個性が、出せる。キャリアで目立つじゃなくて、全員、個性を出して。デビューしたては真っ白だと思うので。みんな彩っていく。それがcolor's。色とりどりのカラーがある。1年目は、とにかく楽しい。プロレスを楽しんで、プロレスを好きになってもらうのを目標にしてました。そうすると1年間で、自ずとみんなカラーが出てきたので。2年目は、楽しいだけじゃないのが楽しいを目標にしてました。color'sを確立させることが一番でした。後輩が5年間いなかったので、color'sは新鮮でした。だから、めっちゃ見てますよ。その子が練習ちゃんとやってるかも」。
団体のトップを担う一方、個人としてのオファーも受けて活動していて、2019年3月にアジアドリームタッグ王座にも返り咲いた。「私は私で、プロレスを楽しんでました。アクトレスガールズのcolor'sのSAKIとしては、color'sを確立させることが一番。プロレスラー・SAKIとしては、私自身が、プロレスを好きになって楽しくなっていました。アジアドリームタッグは初代王者だし、一番思い入れのあるベルト。私の自信を形にしたもの。そして、プロレス10周年を丸腰で迎えたくなくて、アクトレスの中でも、自分をシングルプレイヤーとしても確立させようと思っていました。それでいろいろ仕掛けていきました」。
もともと、人見知りで自信のないタイプ。「自信は、自分で作ろうと思って、2018年、女子で一番試合してるんですよ。それで自分に自信をつけていたので、そこで初めて余裕ができたのかもしれない。やっていて楽しいと楽しめるようになりました。でも試合数は去年の方が抜きましたけどね。外では、自分らしく」。

今も大切にしているCOLOR'SチャンピオンシップのベルトはSAKI自身がデザインしたもの

我闘雲舞のリングで試合後恒例の反省会の場面(2016年)

アクトレスガールズに入団を発表

激動の2021年

2021年は、アクトレスガールズがプロレス廃業に向かう。シングル王座も獲得し、color'sも3年目でこれから次のステップを迎えようというタイミング。「何のために動いてきたのか。。。個人的には、アクトレス以外の仕事は、自分で受けて継続していたので、私は一人でできるけど、みんなどうするのかな?という思いが強かったですね。プロレスをやめる選択肢はないので。プロレスを続けたいという気持ちの子がどうするのかなというのが大きかったですね。ひかりから、一緒にやりたいと言われた時は素直に嬉しかったです。でも、めっちゃ不安でした。えっ、二人でやるの? 大会をやったこともないし。最初、社長になってくださいと言われたんですが、そこまではできない。人の人生背負えるほどのスキルは持ってないし。やるならユニットという形でキャプテンで、大会開くからと。みんながプロレスをやりやすい環境を作る。練習場所を確保したり。戻ってきて安心できる場所を作る。悩んでる子もいた。なんだかんだで二転三転してたので。どこの団体に入るとかもわかんない。私は、所属の苦労を知っているので、簡単に決めない方がいいと思うし。悩める場所にもしてほしかった」。
シングル王座を獲得してからは、color'sのメンバーを相手に防衛戦を行った。旗揚げ時から、場数を踏ませたいとずっと言っていたが、タイトルマッチに関しても同様だった。「防衛戦の相手にはこだわりを持ってやりました。タイトルマッチって、自分の中では大きな経験で、簡単にはできない。だから経験して欲しかった」
8月に清水とのコンビで獲得したWAVEのベルトについては「ひかりとのタイトル戦が終わった後、二人でトミーさんに直談判して挑戦したいと言いに行きました。ベルトを獲れるかは別にしても、WAVEさんはフリーになると上がれない。COLOR'Sを立ち上げるきっかけにもなったし、大きな存在。ベルトを獲ってなかったら、今のCOLOR'Sもなかったかもしれないです」
2022年は、ユニットで活動していくことを決め、「カラーズ」という名称は、英語表記を変えることで、継続使用の許可を得た。
「年末に発表したんですが、いろんな人に相談しましたね。HEAT UPのTAMURAさんがSAKIちゃんならできるよ、と言ってくださったので、その日に会場押さえました。会場を押さえて自分を追い込まなければと。先延ばしにしちゃうタイプなので。背中を押してくれました」。

飛躍の2022年

2022年2月にCOLOR'S旗揚げ。COLOR'Sというユニットを立ち上げて以降、メンバーの試合数が日毎に増えて行った。オファーの数も増え、それまで縁のなかった団体にも出るようになった。
「COLOR'Sをやらなかったら、自分で大会を開かなかったと思います。自分でやることで、オファーしたり、会場準備したり、全部自分でやって、私、あまり人と関わらないタイプなんですけど、めっちゃいろんな人に支えられてるなと思いました。いろんな団体からも選手の皆さん、出てくださって。出ていただかないと、4人では大会は成立しない。おめでとう!って、COLOR'Sの旗揚げを迎えていただきました。2月の再出発で、それまでやっていくことに不安があったのを、いろんな人に背中を押していただいた感じです。同時に、今まで上がってなかったアイスさんとかにも呼んでいただいたり、タイトルマッチしたり。4月は後楽園ホールの還暦祭でメインに立たせていただいて。WAVEのレジーナ(WAVEのシングル王座)にも挑戦して。重なってますね。今までで、一番充実してると思います。旗揚げの成功と、還暦祭でメインに立たせていただいたのが、一番。タイトルマッチ続きだし」。
アイスリボンのタッグ王座も獲得し、WAVEのタッグ王座も一度は落としたものの、再度、戴冠、防衛記録も伸ばし続けている。color's時代から続くcolor'sチャンピオンシップのベルトも巻き続けている。後楽園ホールの還暦祭は、14団体とフリー選手が参加する実質現在の女子プロレス・オールスター戦だった。そして、5月からスターダムにも参戦。
「アクトレスガールズのcolor'sと言ってもわからない人が多かったんですよ。どういうこと?アクトレスガールズじゃないの?カラーズを広めるのが、すごい難しかったんですけど。今、Girl's prowrestling Unit COLOR'Sになって、多分、よりCOLOR'Sを知ってもらえてると思います。知ってもらおうと行動もしているし。同時進行してると思います。COLOR'Sを広めるところと、自分のプロレスを大切にすることと。10周年に向けて。color'sチャンピオンシップも、持っていることで、color'sチャンピオンとコールしてもらえます。その意味はちゃんとあるんですよ。スターダムさんは見てる分母が違いますね。出てよかったと思います。よその団体を見てない人がいっぱいいる。多分、還暦祭はいいきっかけだったと思います。スターダムの選手と絡んだし。いろんな女子プロレスのファンが注目する大会だった。10年のプロレスの中でも、すごい大事な大会だったと思います。ターニングポイントでしょうか。GWあたり、首が痛くて真っ直ぐ歩けなくて、試合前、ずっと横になってるぐらいの時があったんです。なんで、こんなしんどい思いしてるのに、という思いはありました。人がいないところで、痛い思いするなら、目立ってやりたい。だから、いっぱい見てもらって、反応してもらえると楽しいですよね」

10周年大会『KING OF THE KAWAILD♡』

そして、順調な2022年の活動中、10周年大会を開催することを決意。これまで縁のあった選手に出場してもらい、カードもSAKI自身が楽しめる内容にしたという。「自分でやりたいとは思ってたけど、なかなかできないと思って実行に移せなかったんです。自信がなくて。お客さん入るかなとか不安もあって。でもCOLOR'S大会の経験が後押ししてくれて、実行に移せました。出てくれてるみんなにプロレスを楽しんでほしいです。プロレスを楽しんでもらえる場所を提供する。私が楽しみだと思うカードしか作ってないので。絶対楽しいと思うんです。10っていう節目なので、応援してくださってる方にお礼を伝えるのにちょうどいい機会だと思っています。プロレスの楽しさって色々あると思います。見ることの楽しみ。応援すること。好きな選手を探すのもいいですよね。普通に生活してたら、そんなに喜怒哀楽って出す場所がないと思うんです。でもプロレスって、一緒に感情を乗せられるから、共感できるの楽しい。映画とかドラマとか、なんで見るのかと言ったら、面白いから。プロレスも全部リングの上でドラマがあります。成功した時も楽しいし。失敗した時は悔しいけど、楽しい。前向きな気持ちにさせてくれる。応援してる選手が負けて後ろ向きな気持ちで帰ることもありとは思います。アイドルのライブはずっと楽しい。悔しい、悲しいは卒業ぐらい?。それも楽しくて行く。お笑いは笑い。プロレスっていろんな感情がある。刺激をもらえるんですかね」

「2023年は自分のキャリアが2桁になる。プロレス好きで入ってないし。ずっと嫌々やってたし。でもそんな私が、プロレスをやっていて楽しいし、キャリアも2桁。夢みたいな話で。それは、周りの方が認めてくださって、支えてくださってるからであって。プロレス界に必要とされる存在でありたいです。私もですし、COLOR'Sというユニットとしても。プロレス嫌だ嫌だと言ってたのが10年やって、人生って面白いですね。目標ですか?自分はONLY ONEでいい。自称カワイルドじゃなくて、誰もが認めるカワイルドをとことん追求していきたいです。“まさしくカワイルドだわ”“そういうことかカワイルドって”。
私もプロレスを楽しんでいるし、見ている人も楽しんでほしいです」。

2019年1月のcolor's旗揚げ戦後の記念写真

新生COLOR'Sの旗揚げ第2戦で4人のメンバーが揃った

新生COLOR'Sの旗揚げ戦

清水ひかりとWAVE認定タッグ王座を奪取!

水森由菜とのコンビで、アジアドリームタッグ王者に

2022年、アイスリボンのタッグ王者にもなった

自身が提唱してできたAWGシングル王座を奪取!

カワイルド・ニードロップで試合を決めた

プロフィール
1988年2月12日、千葉県木更津市出身
身長:163cm
得意技:カワイルドバスター、リバーススプラッシュ、ブルズ・アンヘリート、カンパーナ、カワイルドニードロップ
デビュー戦:2012年12月29日 対神取忍&井上貴子戦(パートナーはMIZUKI)
タイトル歴:アジアドリームタッグ(初代=パートナーはMIZUKI、第5代=パートナーは水森由菜)、AWGシングル(第4代)、Color'sチャンピオンシップ(第2代、第4代)DUAL SHOCK WAVE認定タッグ(第26、第30代=パートナーは清水ひかり)、インターナショナル・リボンタッグ(第55代=パートナーは清水ひかり)、デイリースポーツ認定女子タッグ(第29代 =パートナーはライディーン鋼)

後楽園ホール還暦祭は、大きな転機になった

スターダムと初遭遇の後楽園ホール還暦祭

color'sチャンピオンシップは初代王者・未依から奪取

AWG初代王者決定戦は、安納サオリに敗れる

2022年、スターダムのシングルの祭典「5★STAR GP」にも出場

スターダムにCOLOR'Sがユニット参戦表明

同期のライディーン鋼とPURE-Jのタッグ王座を奪取

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