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Image by Olga Tutunaru

SPECIAL

SPECIAL Interview

No Guarantee web magazine(2022.6)

Maria & 川畑梨瑚インタビュー vol.2

SPECIAL Interview

Maria & Kawahata

3歳でダンスを始めた

幼少期は活発な子で、男の子と遊ぶことが多かったという。「一人で公園に行って知らない友達と遊んだりとか。今考えると危ないですけど、知らない子の家に上がり込んだりとか。行った家や、背景は覚えているけど、果たして、その子が誰なのかは覚えてなくて。山とか秘密基地が好きな子だったので、勝手にマンションのところに侵入して怒られるとか。しょっちゅうありましたね」

 

また、ダンスを3歳から習い始め、ずっと続けていた。「小さい頃なので、お姉ちゃんがやってるものはやるというイメージがあったので。週1回の練習。年1回発表会がある。地域のダンススクールだったので、そんなに本格的なものではなかったんですけど。小学4年のときにHIPHOPにジャンルを移して。そこからは、ずっとHIPHOP。体を動かすことは好きでした」

 

中学では、姉の影響でバドミントン部に所属。部長を務めた。「厳しかったですね。他人にも、自分にも。結構言いたいことを言ってました。部員数は全部で30~40人ぐらい。区大会では、毎回優勝だったので。ちゃんとやるところはやろうという姿勢。学校生活は、人の模範ではない、どちらかというと違反者だったんですけど。好きなことは、とことん頑張る。嫌なことはやらない(笑)」

 

高校時代は、勉強嫌いで、授業中も居眠りすることが多かったという。「将来的にやりたいことがなくて。高校に行く意味が分からなかったんです」。親からは、高校は出ておけと言われ仕方なく受験した。「行きたい高校もなかったので、仲のいい先輩が来ればと言ってくれたので。学力もそこそこ、校則もそれほど厳し過ぎないと。そこでダンス部に入部。学校生活は中学の時と変わらず、授業中は寝てましたね(笑)。学力も下から数えた方が早いという感じでした。だけど、部活はちゃんとやる。一番の区切りが、文化祭。夏にはサマーフェスティバル。3年生が卒業する時。そこに向けて頑張る。60~80人ぐらいいて、8割方が女子。楽しかったですね。高2の時が一番遊びました。当時、合宿はなかったんですが、自分の代から始めました。自分で練習できる場所があるのか、大人数が宿泊できるのかなど宿泊所を調べて、学校に提出して」

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Maria & Kawahata

ムーンサルト・プレスをひっさげてプロレス・デビュー

アクトレスガールズの練習生になったのは8月頃。そこからデビューに向けて動き出した。同期の中でも期待され、「11月に初の後楽園大会がある。デビュー戦でムーンサルト・プレスを飛べる選手になれ」と言い渡された。「最初は怖かったです。10月の初め頃、大阪の成田三兄弟(オリンピアンの成田童夢、夢露、緑夢)の家の屋上にトランポリンが設置してあって。そこで練習をすると言われ連れて行かれたんです。オリンピック用の本物のトランポリンなので、顔面から打ったら顔面が傷だらけになるんです。それでも、痛くても触っちゃいけない、怪我は勲章だと言われながら。何時間も飛ばされて。3泊4日、地獄でした。そこで、回る感覚は掴みました。東京に帰ってきてからは、畳の部屋にクッションや座布団を置いて、ソファから飛ぶ。リング練習もなかった時だったので。恐怖心をなくすために首から落ちる練習をする。後転する感覚。高いところから回転して落ちる。ジャーマン・スープレックスの高いところバージョンみたいな。デビューしてない新人がですよ。そこから形にしていって。それでも、それまで飛べていても、次の日に急に怖くなるとかがあるんです。デビューまでは、そことの葛藤でしたね」

 

2018年11月、アクトレスガールズ初の後楽園ホール大会でデビュー。同日デビューの他の3人が堀田祐美子との4WAYマッチだったことを考えると特別の扱いだった。「デビュー戦でムーンサルトを飛べと言われて入っているので。他の人だと、入ってある程度筋力がついたらリングに上がれるね、これなら大丈夫だねとかで、デビューすると思うんですけど。自分はそこに合わせて自分のトレーニングをしなければいけなかったので。ひたすらムーンサルトの練習ばかりしてました。ムーンサルトという武器があっただけで。同時デビューした子と大して変わらなかったと思うんですよ。バック転はできなかった。回る系はできなかった。本当にムーンサルトだけでしたね。デビュー戦が終わって、素直に言うと。終わったという気持ちでした。ホッとしたというか。本当は始まりなんですけど、ムーンサルトをやるのをゴールにしてやってきていたので。時間は掛かったけど、飛べた。そこしか覚えてないです」

 

しかし、デビューしてすぐに、欠場してしまう。タッグマッチの途中、相手の攻撃を阻止しようとしたら、ロープワークの選手に飛ばされて、リングから落ちて骨折。「螺旋状に骨が折れてたので、手術しなければならない。手術して、足の筋肉が全くなくなってしまった。もともと筋肉がない中での骨折だったので、歩くことがままならない状態になってしまいました。そこからムーンサルトを飛ばきゃいけない。ファンの人は、自分イコールムーンサルトというイメージが強いと思ったので、飛ばなきゃいけないと思ったんですけど、やっぱり飛ぶのが怖くなってしまった。復帰が決まってもギリギリまで飛べなかったんですよね。で、それを見た堀田さんにめちゃくちゃ怒られました。そんなんだったらムーンサルトを使うんじゃないと。それが喝になって、自分のためにもお客さんのためにも飛ばなきゃいけなとなと思い直しました。で、復帰戦で、無事、ムーンサルトで勝つことができたんですけど。大変でした」

 

2020年1月には、SAKI&水森由菜が持っていた我闘雲舞のアジアドリームタッグ王座に未依と組んで挑戦。初タイトルマッチを経験した。「タッグ力とタッグの闘い方を学ばせてもらいましたね。未依さんとはあまり組むこともないんですけど。相手は組んでいて、自分たちはそうではない。だからこそ、闘い方、パートナーの力をどう利用するのか、自分の力を相手にどう利用してもらうか。そういうのを学んだ試合でした。終わった後も、自分の中で大きな変化があった試合でした」

 

そして、5月には、左肘靭帯損傷、関節部分の骨折に見舞われ、再度、欠場することになる。その間に、ちょっとしたゴタゴタがあり、退団を決意。「アクトレス時代にお世話になっていた堀田さんに、辞めることを報告しに行ったんです。その時に、どうしたの?という話から、じゃあ、どうにかしてあげると言っていただいて」堀田のT-HEARTSの世話になることになった。

デビュー戦で、ムーンサルト・プレスを決めた

未依と組んで、

SAKI & 水森由菜のアジア・ドリーム・タッグ王座に挑戦

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Maria & Kawahata

先輩の紹介で舞台出演

高校を卒業する時も将来像がなかったという。そんな時、2つ上の先輩から声をかけられた。ダンスの仕事をしていて、舞台の振付師をやっていたのだが、ダンスができる子を探していたのだ。「高校生の時だったんですが、楽しそうだなと思ったので、舞台(『BOX-STING〜3ROUND〜』2017年10月)に出ました。実際にやってみたら舞台の世界は面白いと思いました。そこで舞台をやっていこうと思いましたね。その後も、何本か出させていただいて。ダンスをやりながら演技の勉強もして」

 

初舞台の時に一緒に出演していた一人に、アクトスガールズの林亜由美(2021年引退)がいた。その後、林に誘われて、アクトレスガールズの舞台『カウント2.9』にも出演した。プロレスを題材にした舞台で、そこで代表から「プロレスをやってみないか」と勧誘を受けた。最初は断っていたが、「3回ぐらいは断ったんですけど。プロレスは見たことはなかったし、テレビに出てるアジャ・コングさんとか北斗晶さんとかしか知らなくて。自分には無理だろうと思ってたし。練習を見るだけいいと言われて見に行ったら、リングに上げさせられて。まあ、運動は人並みにはできるなと思ってはいたんですが。マット運動やったら、動けるねと言われ、ズルズルとやることになってしまいました」

堀田との縁でAssembleのリングで復帰

川畑梨瑚プロフィール

本名:川畑 梨瑚
身長:160cm
体重:55kg
誕生日:1999年7月28日
出身地:東京都墨田区
所属:T-HEARTS
デビュー:2018年11月15日

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Maria & Kawahata

T-HEARTS所属で再出発

復帰戦は、コロナ禍に見舞われた女子プロレスをサポートしたいと北斗晶が全団体に声をかけ立ち上げた10月のAssemble。堀田のルートでの出場だった。Assembleの主旨に賛同し協力していた団体の中に、長与率いるマーベラスがあった。復帰前、長与の好意で、「マーベラスの道場に通いで練習に行っていました」。ここから、Mariaとの接点が生まれる。

 

復帰後は、SEAdLINNNGを中心に活動する中、マーベラスの大会にも呼ばれるようになる。SEAdLINNNGでは、花穂ノ利(2021年に引退)とのコンビで、「GET A DREAM TOURNAMENT」に出場し、優勝。BEYOND THE SEA TAG王座にも挑戦。「若手同士のタッグ。相手はトーナメントで3回闘ってきた人たち。自分たちは、不戦勝で勝ち上がっての決勝だったので、見る人からするとずるい。でも、それを機にタイトルマッチに挑戦させていただいたり。自信になりましたね。自分たちが挑戦した時は、中島安里紗さんと高橋奈七永さんがベルトを持っていたので、それ相応の覚悟は必要だなと思ってましたが、穂ノ利とのタッグに自信を持っていたので、怯むことなくいけましたね。連携とか、使ってる技もかぶっていなかったので、いろんな連携が考えられる。毎試合毎試合、連携を増やしていってました。試合の仕方の幅が広がったと思います。タッグとしてすごくいいチームだとも言われました。自分と組んで穂ノ利がすごく良くなったと言っていただけたのもすごく嬉しかったです。後輩にあたるので、引っ張っていかなきゃと思っていたので」。その後、SEAdLINNNG五番勝負を実施してもらうチャンスも得た。松本浩代、永島千佳世、優宇、水波綾、堀田祐美子という顔ぶれ。いずれも、体格やキャリアで圧倒的な力を持った選手。「デカい相手とどう闘うか。タッグだと二人で攻撃ができるので倒せる確率は高くなるけど。一人で闘わなければいけないというプレッシャー。自分に対するプレッシャー。相手は、“挑んでこいよ”というスタイル。それにどう立ち向かうか。五番勝負の間はピリピリしてましたね。遠慮は一切しなかったし、相手が壊れないのは、わかっていたので。人をこんなに蹴っていいのかというぐらい(笑)。得られたもの、一番は闘争心。気取らず飾らず。ひたすらがむしゃらに。シングルで先輩と闘わせていただく機会はそんなにないと思うんですよ。貴重だったなと、今でも思いますし。先輩方、強い相手に食ってかかれる。立ち向かっていっていいんだと。遠慮がなくなりました」

 

そして、2022年2月の堀田との五番勝負最終戦を終え、4月の後楽園ホール・還暦祭を迎えることになった。

川畑梨瑚

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